フェルメールの光
新しい元号が発表される少し前に、大阪市立美術館で開催している「フェルメール展」を見に行った。17世紀オランダのデルフトで生まれ(1632-1675)、43歳で没する生涯の中で、現存する作品が35点とも言われる寡作の画家ヨハネス・フェルメールの展覧会だ。今回は6作品が公開され、日本初公開となる「取り持ち女」や大阪のみの展示となる「恋文」などが評判だ。
初期の宗教画「マルタとマリアの家のキリスト」と「手紙を書く婦人と召使い」を特に見たかった。「…キリスト」はフェルメールの作品の中で、最も大きな作品だ。「手紙を書く…」もフェルメールらしい柔らかい光と描かれる人物の間にある緊張感が表現され、魅了された。
とはいえ、今回公開される作品ではないが、実は、有名な代表作「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」を見たことはあっても、興味を持つことは、長らくなかった。今から思うと、どこに行ってもよく目にするこの作品から、生来のあまのじゃくは、かえってこの画家から遠ざかっていたのかもしれない。
そうした気持ちに変化が起こってきたのは、その作品の多くに、窓からはいってくるふんわりとした柔らかい光のもとで人物が描かれていることに気づいてからだ。フェルメールの作品でしばしば描かれる左側の窓から部屋に入ってくる光は、青いテーブルクロスや人物の黄色いガウン、市松模様の床面など、その質感を小さな粒子で描いているように見えはじめ、そこに写真との類似性を感じるようになったのだ。
写真には、光が必要だ。写真は、その成り立ちから言っても、レンズをとおった光がフィルムに当たることで初めてフィルムが感光し、現像の過程を経て写真になる。デジタル時代になってもそれは、フィルムが受光素子に変わっただけで、現像を抜きにすれば、基本的には同じと言っていい。
写真機であるカメラは、「カメラ・オブスキュラ」(ラテン語で「暗い部屋」の意)と呼ばれた装置がもともとの由来で、ピンホールカメラはこの「暗箱」の原理で光を得て平面に映像を投影し、フェルメールもこの暗箱を使用していたとも推測されている。その作品の光や幾何学的な構図が写真的に感じられるのも、そのせいなのかも知れない。
スピノザのレンズ
もう一人、フェルメールと同じ1632年オランダ・アムステルダムに生まれた人物がいる。「エチカ」で有名な哲学者、ベネディクトゥス・デ・スピノザ(1632-1677)だ。
スピノザは「神すなわち自然」とした思想によって、後の哲学者や思想家に大きな影響を与える偉大な存在となったが、当時の教会からは異端視され、迫害されたため、主にレンズ磨きなどによって生計を立てながら、静かな思索生活のうちに生涯を送ったというのは、有名な話だ。そのいわゆる「汎神論」といわれる思想は、後に多くの思想家、哲学者、詩人に大きな影響を与えたと言われていて、中でも物理学者アインシュタインは、神を信じるかとの問いに対し、「私はスピノザの神を信じる。世界の秩序ある調和として現れている神を…」と答えたというエピソードが残っている。
フェルメールやスピノザが生きたこの時代、前世紀末からガリレオが天体観測を始め、凸レンズと凹レンズを組み合わせて望遠鏡を製作し、光学機器が作られるようになっていた。天体を観測するのは望遠鏡であったが、同様にガラスのレンズを磨いて、微小な世界を観察することも同時に始まっていたのだ。
顕微鏡である。
レーウェンフックの顕微鏡
もう一人、二人と同じ年の1632年に、フェルメールと同じデルフトの町に生まれた人物がいる。アントニ・ファン・レーウェンフック(1632-1723)だ。
レーウェンフックは、デルフトの商人の家に生まれ、デルフト市役所の職員としての仕事のかたわら、小さく磨かれたガラスのレンズを使い、自分で顕微鏡を作り、微生物やバクテリア、精子を発見するなど、微細な世界における驚くような生命の豊かな営みを記述し続けた。彼は、終生アマチュアの研究者であったが、現在では、顕微鏡の父・微生物の発見者として知られる存在になっている。 レーウェンフックは、その自作の顕微鏡で身近な、ありとあらゆるものを見たという。視野は狭く焦点の合いにくい単式レンズであったが、その高い倍率で極めて微細なものが見えた時に肉眼では見えない新しい世界の広がりを感じたに違いない。
フェルメールの作品に「地理学者」というものがある。そこに描かれたデバイダー(製図用のコンパスのような道具)を持つ人物がレーウェンフックではないかという説があるが、生前の二人の交友を証明するものは残っていない。ただ、フェルメールの死後、フェルメール家の遺産管財人をレーウェンフックが務めたという記録が残っているに過ぎない。
*******************************
春になり、様々な自然の営みが活発に感じられる季節になった。桜はそろそろ散り、タンポポや小さなムスカリが、あちこちで明るく、さりげなく咲いている。風は爽やかにそよぎ、柔らかな陽光が注ぐ日が増し、川では淡水魚が婚姻色を帯びて、昆虫の宝庫として知られるこの北摂にある豊能町では多くの虫たちも活発に動き始める季節になった。
子どもの頃に一度だけ捕まえたクロカナブンの魅惑的な姿を初めて見た時のことをよく覚えている。それは、一般的によく見られるカナブンとは異なり、キチン質の外骨格が、つややかな漆黒に輝いて、その輝きに何とも心を奪われたものだ。
普段の日々の暮らしの中で、ふとした瞬間に窓からはいる柔らかい光の美しさから、何の変哲もない当たり前の生活の愉しみに気づいたり、身近な動植物の姿や形(click!)、色彩の美しさ(click!)や遥かなる夜空の天体を観察する(click!)など、微小な物質にも宇宙の天体のいずれにも広大な世界が広がっている。
こうしたレーウェンフックのような自然や生命への科学的な興味、またスピノザのように自然に対し微分的に神性を見出す哲学的思考、フェルメールの作品に描かれる人々の生活の営み、つまり手紙を書いたり、楽器を弾いたり、アクセサリーをつけたり、ミルクを注ぐなど、こうした日常のささやかな行為。
今回、初めて自然な光で細密に描くフェルメールの作品を見て、スピノザやレーウェンフックの生きた時代や国からも遠く離れていても、私たちの住む豊かな自然に囲まれた町の日常生活や、自然への興味との大いなる共通性を感じながら、フェルメール展の余韻に今も、浸っている。
「フェルメール展」 大阪市立美術館(天王寺公園内)で現在開催中。 5月12日(日)まで(平日がオススメ!)
※参考文献 「フェルメール 光の王国」 福岡伸一 著 木楽舎刊(町立図書館に所蔵)
「せいめいのはなし」 福岡伸一 著 新潮文庫刊(町立図書館に所蔵)
「ルリボシカミキリの青」 福岡伸一 著 文春文庫刊
5 comments
そう言えば・・・ガリレオが望遠鏡で月や惑星などの天体を観測して天文学に大革命をもたらしたのは、オランダの素晴らしいレンズがあったから・・・と聞いたことがあります。
光の春を迎えた今の季節、『光』を通じて、フェルメールから、レンズ、顕微鏡へと、不思議なつながりの世界を感じました。
コメントをくださってありがとうございます。
ガリレオの天体観測にオランダの優れたレンズの存在があったことを、ご存知だったのですか。それはスゴい!私はちっとも知りませんでした。笑
大人気のフェルメールですが、色んな興味の入口があるように感じます。
私の場合は、フェルメールの光→写真→レンズと進むと、その先に大好きな昆虫と本(スピノザ)のある踊り場に出て、その踊り場が私たちの豊能町と似た場所だったことを記事にしてみたんです。こうして色んな入口から豊能町を見てくださるといいですね。
とよレポみほ☆さんの記事も引用させて頂きました。ありがとうございます。
豊能町とあるのでフェルメールの本文をクリックしました。オオイヌノフグリもこのところ庭田にあまり咲かなくなりました。雑草と言われる花も可愛いのでこのところ抜かないようにしています。フラサバソウ、スズメのエンドウ、気をつけて探します。ありがとうございます
シカさん、コメントありがとうございます☆
ロク×ロクさんに記事を引用していただいた、とよレポみほ☆です。
小さな(いわゆる雑草と呼ばれる)花たち、よく見るととてもかわいいですよね!
抜きたくない…でも、場合によっては抜かねばならない…人間って勝手だなあと、自分でも思いつつ過ごしていますが、そんな中でも、まだまだ知らない世界を教えてくれる小さな命に出会える幸せを、大切にしていきたいなあと思っています。
ぜひ、シカさんも!花たちにたくさん出会えますように(#^.^#)
シカさん
かなり以前の、ちょうど今くらいの春の時期に書いた記事でしたが、コメントをくださってありがとうございました。
雑草と言われてしまう小さな花たちにも、しっかりとしたラテン語の学名がつけられています。そして、小さなものにも宇宙の天体と同じように広大な世界が存在している。豊能町はそうしたことにも気づきやすい環境にあるということを記事に書いたように思います。
改めて散歩したりしたくなりました。