豊能町出身の歴史的偉人といえば高山右近。
駅を下りたり役場に行ったりしたらでかでかと「高山右近 福者認定ッ!!!!!」と横断幕が掲げてあったり、町内ではわりかしメジャーな人物ですね。
だがちょっと待った。
実際のところ高山右近さんってどんな人?正直言って私ぜんぜん興味ありませんでした。
どれだけ興味なかったか、標語を作ってみましたので吟味お願いします。
本当に? 知ってるつもり? その右近
ザビエルに 増やす毛根 ぼく右近
毛根の話はやめてくれ……。
そもそも歴史好きといっても私は民族風習などが好きで歴史偉人はからっきし知らなくて大名にあんまり興味が無いことと、しかも宗教がらみとなると「俺にはぜんっぜん関係ないぞう」感プンプン出してたんです。
ところが。ところが、ですよ。トヨノノレポーターがらみで町の観光協会さんから高山右近についての資料をいただきまして、「なんか記事のネタになること書かれてあるかなー」とパラ読みしてたんですが、面白いんです。高山右近さんの人となりが、とても興味深いんですよ。
これはもっと広く知られたらいいな、と思いましてですね、「私同様全く興味ない人に向けての高山右近入門」を書こうと思いまして、こうして筆をとった次第であります。
高山右近ファンになるポイントは3つ
高山右近その人を一言で表すなら「戦国時代に活躍したキリシタン大名」で間違いないのですが、私が個人的に思うにこのキリシタンという属性が、難しい宗教観を嫌う人々からの興味を遠ざけてるようにも思えます。
しかしそれはもったいない!高山右近という素晴らしい人物像を語るにあたって、キリシタン大名という追加属性をもってして食わず嫌いでいるのは人生において損です。損害保険がおります!
そこで、こんなことで損害保険の請求してては身が持たんだろうという私からのおせっかいで、どうもイマイチ高山右近に乗り気でいられないでいる方々のためにわざわざ入門ポイントを作ってやりました!!
私が掲げる、高山右近の魅力入門編になる3つのポイントは次の通りです。
- 歴史的偉人に囲まれた、華やかな来歴
- 不利になろうとも信念を曲げない、一本気な気質
- 志野さんとの夫婦愛
で、ですね。ポイント1の「歴史的偉人に囲まれた、華やかな来歴」について書く前に、先にポイント2の「不利になろうとも信念を曲げない、一本気な気質」について触れさせて下さい。
じゃあ最初からポイント1とポイント2を逆に書けよ、とも思ったのですが、やはり最初は「華やかな歴史的偉人」について書きたい、でも歴史的偉人に囲まれた華やかさを書く前に、どうしても一本気な気質について触れておかなければならない、そういうジレンマがあったのです。
高山右近、そんじょそこらの英傑じゃないぜ説
私が高山右近以外のキリシタン大名について「あっそはいはいふーん」という態度を取るのは、別にキリシタン大名が嫌いだからではありません。並の大名は「キリシタンであること」を利用して力を蓄えていたからです。利用できるものを利用して然るべくして強くなったにすぎないので、そこに全然ロマンを感じないためです。
そこへいくと高山右近は違います。自分がどんなに不利になったとしてもキリシタン大名であることをやめません。そこにシビれる、憧れるゥ!!!
その点を踏まえて、ポイント1から高山右近の人となりを探っていくと、「はいはい、有名な人にもうまく取り入ったね、高山右近すごいすごい(棒」といった感想は生まれなくなります。
ポイント1:歴史的偉人に囲まれた、華やかな来歴
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といったハイパーメジャー級の有名人はもとより、千利休、明智光秀、黒田官兵衛、前田利家、足利義昭などなど脇を固める偉人も勢揃い。超有名人たちにあるときは頼りにされ、あるときは愛され、そしてあるときは恐れられ、とまるで日本史が高山右近を中心に動いているかのように、華々しく時代が動きます。そしてなにより、首が半分に切られても生きてる高山右近が凄い。
詳しい来歴について興味のある方はWikipediaでも参照していただくとして、ここではざっくりと他の歴史的偉人との絡みについて抜き出してみました。
- 足利義昭とともに京都入りを果たした織田信長の家臣、和田惟政にもともと仕えていた
- 和田惟政の息子、惟長の家督騒動に巻き込まれる形に。高槻城で首を半分切られても生きてるというアンビリーバボー体験
- 親父と共に高槻に教会を建てまくる
- 荒木村重の配下、村重の反乱などを経て織田信長直属の臣下に
- 本能寺の変、明智光秀は右近が味方になってくれると期待していた
- 右近は豊臣秀吉と共に明智討伐一番乗りを果たす
- 秀吉の天下統一に従軍し、統一後は明石の重要職に封じられる
- 明石でも隙あらば親父が教会を建てまくる
- 茶にも詳しく、千利休の一番弟子となる。ほかの茶道の先生たちから「すごすぎてなんかキモい(褒め言葉」と恐れられる
- 秀吉の突然のバテレン追放令発動。心配して改宗を勧めてきた千利休にも取り合わず、キリシタンであることを曲げない
- これによって右近は大名の地位を剥奪されたうえ領地を追放される
- 右近の熱狂的なファンのひとり、前田利家にかくまわれ金沢へ
- 隙あらば教会を建てまくった経験を活かして金沢城を匠のリフォーム
- 徳川家康の天下に。家康、右近を恐れて国外追放
- 右近、マニラへの苦しい船旅
- よほど船旅が苦しかったのか、マニラに到着後すぐに病に伏す。でもマニラでも教会が建ちまくる
どうでしょう。親しみやすいようにざっくりとしすぎた表現が多々ありますが、まさに日本の歴史が、偉人たちが右近を中心として動いているかのように思えてきませんか。
歴史マニアは推しの大名を高評価しすぎるきらいがありますが、ひいき目に見ても高山右近が人々に多大な影響を与えていたのは想像に難くありません。
ポイント2:不利になろうとも信念を曲げない、一本気な気質
で、先ほどからちょくちょく触れていますが、高山右近の真骨頂といえばやはりここ。
高山右近はどんなデメリットを被ろうとも自身の信念を生涯曲げませんでした。
秀吉からの突然のバテレン禁止令、家康からの国外追放令と、何度も迫害を受けながらも右近はキリシタンであることをやめようとしませんでした。あの千利休も右近の身を案じて改宗を勧めています。それでも右近は頑なに信仰を捨てませんでした。
見方を変えると、六万石もの領地を返上してまでも守りたかった信仰とはいかなるものなのか。家康がさらに国外追放してまでも恐れた勢力とはいったいどのようなものなのか、興味が尽きませんがおそらくはそういったメリットデメリットを超えたところにある高山右近その人そのものの気質が、領民や国の重要人物の隔てなく多くの人に愛された理由なのだということがうかがい知れます。
私は個人的な思考の癖として、歴史上の人物の「立ち位置」を逆算してものごとの行動原理を想像することが多々あります。例えば、きのこの山派とたけのこの里派が対立してたとして、きのこが良いたけのこが悪いという意見のどちらにも善悪の言い分があった場合、どちらとも一旦まずは善人であると仮定して、誰がどの立場で行動しているかに注目してものごとを読み取ろうとします。
例えば、「ペンは剣よりも強し」という言葉があったとして、ペン派が言えばこれは脅しですが剣派が同じ事を言うとどうでしょう。「本当にペンが剣よりも強いならペンは銃刀法違反で取り締まられているはずだ。そうはなってないのなら剣を持つ自分をペンは傷つけることができない」というブラフに使えるかもしれません。そういう視点の変化を、私は癖でよく行います。
その視点からみて高山右近に魅力を感じるのは、やはり私のような視野の狭い人間では計り知れない、メリットやデメリット、立場を超えたところにある高山右近の一本気な気質が強烈に感じられるエピソードの数々です。
大名の座を捨ててまでも、さらに国外追放されてまでも信念を捨てなかった高山右近。かたや国外追放するほど高山右近の信念を恐れた徳川家康。歴史の大きな歯車が、一人の男の信念でここまで動くものかと感心がやみません。
ポイント3:志野さんとの夫婦愛
全国1万人の志野さんファンのみなさま、こんにちは。自称志野さんファン会長こと正宗3です。
高山右近の何がいいって、やはり大名は側室を持つことが一般的だった時代において、高山右近が生涯ただひとり、高山ジュスタこと志野さんを愛した一本気な純愛、夫婦愛があってこそですよね。
余野で生まれた志野さんは結婚後、波瀾万丈な高山右近を後ろから支え、国外追放された右近についていきマニラで死去されたと伝えられています。
右近という強烈な個性が身近にあったためか、志野さん本人について資料が少ないのですが、よほどの強い結びつきと夫婦愛があったことは想像できます。
全国各地にある高山右近の像や伝説に比べて、志野さんと夫婦二人仲睦まじく並んである夫婦像は高山にしかありません。
余野出身の志野さんと、高山出身の右近さん。
やはり大事を成すには厚い内助があってのこと。高山右近と志野さんは、二人ひとつで歴史に名を残したのです。
まだまだあるぜ、高山右近
というわけで、私が個人的に勝手に解釈した高山右近の人となりをぶちまけさせて頂きました。
西洋文化を柔軟に取り入れる洒脱な性格、
戦国大名たちから恐れられる豪胆な性格、
絶対に信念を曲げない一本気な性格、
英雄たちが集まってくる人気者な性格、
生涯ただ一人を愛する純愛な性格、
茶道をたしなむ繊細な性格、
ほっといたら教会を建てまくるビルダーな気質、
首が半分切れても生きてるゾンビな性質、
豊能町を遠く離れたマニラの地で病に伏せ、「我が主を仰ぎに行く」と言って静かに息を引き取ったそうです。
永い永い死出の旅路、高山右近は生涯をかけて貫き通した主に出会えたのでしょうか。それもまた主のみぞ知るのかもしれません。高山右近が見せてくれた歴史のドラマは、今を生きる我々にたくさんの教えを遺してくれました。
5 comments
高山右近入門拝読しました。独特の右近感ですね。賛否両論あるように思いますが、概ね的を射ているように思います。
良く資料を読み込み、纏められましたね。拍手。
ありがとうございます!いろいろ資料をたどっていくうち、当時右近がいかに人々から人気があったか、わかるようになりました。
[…] 斗真を想像しながら読むとちょっと興味が湧いてくる高山右近の話→全く興味ない人に向けての高山右近入門 […]
年表を使ってまとめてほしいです
ちょうどこちらに、観光協会監修のもと年代で並べてみました。ご参考になれば幸いです!
https://toyonohurusato.jp/ukon-no-sato/ukon