10月23日(土)快晴、高山右近夫妻顕彰会主催で、13時~16時まで、希望が丘集会所前より走落(はしりおち)神社までの1.6km間を長持ち唄で花嫁行列が行われました。豊能町にとって歴史上有名なキリシタン大名の高山右近と余野生まれの志野(洗礼名ユスタ)が約450年前に婚姻した当時を想像し、神父様の立ち合いで和洋折衷の結婚式が厳かに行われました。模擬の新郎新婦は希望ヶ丘在住の福井優也・由佳里様です。お二人は10月14日に入籍された新婚ほやほやのご夫妻です。甲冑に身を包んだ鉄砲隊・槍隊・傘持ち・神父・色とりどりの華やかな着物を着た腰元が当時を想像させるような立派な花嫁行列でした。
塩川町長の挨拶:町政等の挨拶ほか、大東建託の調査で、大阪府下で豊能町が街の幸福度(自治体)ランキングで1位であると紹介されていました。因みに2位は三島郡島本町、3位は箕面市です。
無事走落神社に到着
高山ユスタ夫人出生地(余野):高山飛騨の守(右近の父)は、摂津の国余野城主にあたる友人のクロン(クロダ)殿を説き伏せ、家人含め53人をキリスト教の洗礼に導いた。その後クロン殿も亡くなったので、代わりに同家を統率しました。このとき洗礼を受けた奥方の洗礼名はマリアと言い、奥方の長女も3歳の時洗礼を受け、洗礼名をユスタと言う。しかし、ユスタの名前は残されていない。弊ノ木城(現在の淀の水学院城山キャンパス)の西側の麓に住まいを設け、本宅と称し、現在も小字名「本宅」として残っている。ユスタはこの場所で生まれたとされ、「高山ユスタ夫人出生地」の石碑が建てられている。ユスタは天正2年(1574)14歳の頃に高槻城主であった高山右近と婚姻しました。2015年5月に高山の「右近の郷」高山右近夫婦像の除幕式をした時に高山右近没後400年記念実行委員会が、ユスタに「志野」という名を贈りました。最近の調べで「ユスタ」は余野城で生誕したとの有力情報が有ります。