「やだ、ケラさんって呼ばないで。わたしもう40過ぎになったんよ」
SNSのダイレクトメッセージの向こう側で、ケラさんはそう言って照れていた。
最新の投稿ではケラさんは娘と一緒の写真を添えていた。
「下の娘がやっと高校卒業!まだまだ心配は尽きないけど、これでやっと子育ては一段落ついたのかな」
久しぶりにみるケラさんは、20年前よりもずっと楽しそうに笑って写っていた。
ヘアスタイリスト
国道2号線。
太平洋ベルト工業地帯を横断する西日本の大動脈でもあり地域の生活道でもあり観光地も密集する交通過密地帯。それが国道2号線だ。歩道や路側帯も満足に無い低企画な片道1車線。超巨大な物流トラックも地元の軽自動車も観光バスも前かごにファミコンソフトを入れた小学生の自転車も、早朝から深夜まで途切れること無く流れつづける政令地方都市の国道沿い。並行して敷設された私鉄沿線の駅前ビル2階。地元に愛され続けてる美容室の新たな美容師としてやってきたケラさんは、瞬く間にぼくたちの人気スタイリストとして評判になった。
真っ白な肌。大きな目。まばたきするたびにゆれるほどの長いまつげ。バブルなファッションが終わった直後、ナチュラルメークが再評価されはじめた頃にあえて逆行する真っ赤な口紅。それがよく似合う、笑うと大きく開く口。大きな巻き髪に控えめだがセンスの良いカラーリング。東京でファッションショー専属ヘアスタイリスト兼メーキャッパーとして腕を鳴らしたファッションセンス。そして旦那さんとおそろいの鼻ピアス。
「マキって言います。でもみんなからはケラって呼ばれてるので、ケラさんって呼んでね」
最高だった。なにもかもが。最高にいかしたとびきりのハイセンスでゴージャスなスタイリストがこの町にやってきたのだ。これから起こる最高におしゃれなストーリーの予感。この胸の高鳴りをいちはやくセンセイにも知らせようと、ぼくはセンセイの住むアパートにバイクを走らせた。
「でね、そのケラさんってのが最高なんっすよ。白くてね。巻き髪で。まつげばっさばっさしてて。ばっさばっさっすよ。めったに笑わないんだけど、笑うと口が大きいの!いつもは気だるそうにしてるんですよ。だからこそ笑うと最高っていうか。んでね、たぶんセンセイよりちょっと年下くらいで、あ、そうそう、旦那さんとおそろいで鼻にピアスしてるの!!鼻っすよ。おれ初めて見た。鼻ピ。鼻ピってことは軟骨ピなわけで、これもうボディピですよね(ボディピアスの意。耳以外にピアスするのはヤンキー少年にとって勇気の表れで最高に敬愛された)」
「わかったわかった、要するにこのへんでは珍しいおしゃれな人がきたってことだな」
脱ぎ散らかしの背広や革ジャンでぐちゃぐちゃになったベッドに腰掛けて、枕の上にあったメガネをかけなおすと、センセイはいつもの特製ジンロックをつくりはじめた。その手順はこうだ。まず冷蔵庫からロックアイスを取り出す。冷蔵庫って言ってもただの冷蔵庫じゃない。どっかのバーからもらってきたっていうバドワイザーのネオンを無理矢理くっつけてるうえに、開けるためにはまず手錠を外す(センセイは冷蔵庫のドアを手錠でロックしてるのだ。カッコイイ!!!)。中から取り出したロックアイスをコップに入れて、ドクロのマークが書いてある瓶の中の液体を注いでできあがりだ。二人分の特製ジンロックを作ると、片方をぼくに差し出した。ぼくが受け取ると同時に自分の持ってるほうのグラスをぐいっと一気に飲み干す。
「バ……、おしゃれって!かあーっ、そんな普通なもんちゃいますよ。ケラさんは。もう!最高なの!さ・い・こ・う!」
「お前いまおれにバカって言いそうになってなかった?まあいいや、つまりお前が働いてる店におしゃれな美容師さんが入ってきたってことね。てことは年上だけどお前より後輩ってことになるの?厳しいんでしょ、美容師ってそういうのに」
「いや、もうケラさんは美容師免許持ってて、おれ5年も働いてるのにまだ免許とれないから、だめっす。おれのほうが下です」
「あーなるほど、実力主義」
なかなか芽の出ないぼくをよく知ってるセンセイは、すこしなぐさめるような表情で微笑んで、それからセンセイ特製ジンロックの二杯目をぐいっとやった。
センセイは、文字通りぼくの高校時代の国語の先生だった。刈り上げた短めの髪を七三リーゼントできめ、ロボットシューズ(ロッカーが履く超カッチョイイ厚底の革靴!)にドリズラー(50年代のロックンロール黎明期にロッカーが好んできてた超カッチョイイ上着!)、学生時代にBSA風(イギリスの超カッチョイイバイク!)に改造したSR(ヤマハの超カッチョイイバイク!)で通勤していた破天荒な先生で、バイクや音楽、映画やファッションの話題で気が合ったぼくは高校時代からよくこのセンセイの家に遊びに行ってた。
ジョージ・ルーカスのアメリカングラフィティ。スティングのさらば青春の光。そして2PACのJUICE。それらを肴にドクロのマークがついたセンセイ特製ジン。BSA、ロイヤルエンフィールド、ヤマハ、ベスパ、ランブレッタ。そしてケラさん。ぼくらの議題はいつもこれで決まりだ。
「マサムネ、お前は必ずこの街をでろ。お前はここに閉じこもっているべきじゃないんだ。お前の才能を必要としてる町が絶対にある。いつか必ずこの街を出ろよ。マサムネ」
少しろれつの回らなくなってきたセンセイのジンロックは、いつのまにか3杯目が空になっていた。
ロードサイド
今日は珍しくヒマっすね、ケラさん。
近所の奥様方やご年配マダム、ファッションにうるさい女子学生まで広く人気の地元の名店。ぼくが務める美容室ではめったにお客が途切れることはなかったけど、その日はめずらしく朝からお客さんがあまりこなくて、ケラさんと少し話が出来た。
旦那さんといっしょに、ファッションショーやってたんですか?あ、ファッションショーじゃなくてそのショーの専属のスタイリスト。原宿の。へー、すごいっすね。えーそんな忙しいんですか。でもいいなー。おしゃれだなー。きっと毎日が刺激的で楽しかったでしょう。いえ、うちもね。ご近所のみなさんに愛されるの、それはそれで楽しいですよね。そうそう。ショーとは別の。毎日、髪がきまってうれしいなっていう、そういううれしさを感じてもらうの。そうっすそうっす。それがうれしいっていうか。うん、そうなんですけど。やっぱなんか憧れるっていうか。やっぱファッションが好きでこの仕事なったんで。ファッションショー自体、みたことないっていうか。夢の世界で。
そう。夢。
ケラさんとしゃべってて気がついた。
今の姿に満足してない自分に。5年も近所の人の頭をシャンプーして、何者にもなれない自分、そしてあこがれ。
「そんないいものじゃないのよ。ううん、意味が無いとは言わないけど。でもわたしは今の方が、得るものが多いと思ってる」
東京でのショーの話を聞きたいぼくに対して、ケラさんはあまり東京の話はしたがらなかった。ぼくは、店の窓の外に見える国道を、ひっきりなしに行き交う車の群れをみながらぼんやりと思った。
東京からきたというケラさん。今まで見たこともないようなおしゃれな人。
店の前の国道は西日本を横断してるということは知ってるけど、どこから続いててどこに向かってるのか、ぼくは知らない。この車の群れも毎日みてるのに、見えてるところ以外は何も知らない。
いつか、ぼくはこのループから抜けられるのだろうか。
何者かになろうとしてて、何者にもなれなかった20年数年前。
その頃の知人であるケラさんからSNSでフォローがあったとき、驚いた。
ダイレクトメッセージがとどく。
「マサムネくん、覚えてますか。ずっと昔に広島で同じ店で働いてました」
「覚えてるもなにも、ケラさんですよね!!?すんげーおしゃれでずっとあこがれてましたもん!」
「やだ、ケラさんって呼ばないで。あんとき若かったし。もうずっと前に美容師は辞めてて、今は地味なもんよ。和歌山の田舎に引っ込んで、子育てしながら病院事務やってるの」
SNSのダイレクトメッセージの向こう側で、ケラさんはそう言って照れていたけど、子育てしながら地味なケラさんも絶対最高にちがいないと思った。思いながらSNSの写真みると、そこにはぼくの知らないケラさんが、しっかりと地に足を付け年輪を重ねた大人がこんなに素敵になるのかとびっくりするような、魅力的なケラさんが写っていた。
若い頃あこがれてた人がこんなにも素敵な大人になれるなんて、ぼくはなぜか誇らしい気持ちになった。
ファッションショー
レポーター活動を通じて、豊能町でファッションショーを開催すると知ったぼくは、すぐさま応募した。老人ホームなどを運営している福祉施設、祥雲館主催のファッションショー。多世代がおしゃれを楽しむ一日。
はじめは、お年を召した方しか出られないのかと思ったけど、世代は関係なく誰でもモデルを募集しているということだった。
面白そうだと感じた。
面白そうだから出たいと思った。最初はそうだったんだけど、打ち合わせを重ねるうちに自分の中にある変化が現れた。
出る意味が少し変わってきたのだ。
目立ちたがりで、出たがりだと思われるのは別に気にならなかった。
でも単に面白そうだけでは説明がつかない、どうせ出るからにはある種の挑戦のような気持ちが芽生え始めた。
挑戦というより、これはそう、決着だ。
20代のころの自分への。
嫌いだった自分への。
努めて、なりたい自分になるように努めたからこそ。20代の頃の自分が嫌いだった。無知で高慢で無礼で恥知らずで。
だから嫌いだった。
嫌いだけど、がんばってもいた。
結果は出せなかったけど、誰も知らないがんばりは、自分自身で認めてあげないと誰も知らないままだから、どこかで決着を付けておきたかった。
なりたいものになれなかった自分へ。
そして、結果を出せなかった自分へ。
ロードサイドに閉じ込められてた、あの頃の自分と向き合う勇気。
準備はできた。
ステージに立つまで、観客は少ないのかなと思っていた。あんまり誰も来てくれないかもな、と。一所懸命宣伝したけど、そんなに来ないかな、と思っていた。
幕が上がる。
ファッションショーが始まった。
太鼓ステージが終わって、町長あいさつ。そのあとすぐ。
トップバッター。町の名士の方とのペア出演という名誉。
司会が高らかに名前を呼ぶ。いよいよだ。
一歩ずつステージに進む。
目に飛び込んでくるのは……。
客席を埋め尽くす、人。人。人。
人の渦。
拍手の嵐。
スポットライトに照らされて、観客の顔は見えない。でも笑顔は見える。
みんなの。笑顔。
ああ!
よみがえった。
嫌いになれない、あのころの自分。
同世代が遊ぶなか、朝早くから夜遅くまで仕事、そして練習、勉強。
仕事、仕事、仕事、練習、練習、練習。たまの平日の休みは、周りから見ると平日にブラブラしてる若者。格好も派手だし、職業と結びつかないまま不良少年扱いされる周りの目。
名前を付けて練習していたヘアマネキン。
毎日毎日毎日、くる日も、くる日も、くる日も。
仕事、修行、練習、貧乏、嘲笑。
笑顔。
お客さん。指名。信頼。
お客さんからの笑顔。
そして美容師仲間からの笑顔。
完全に忘れてた20代のころの記憶が、頭の中をかけめぐる。
そうだ。ぼくは決着を付けにこのステージにやってきたのだ。
20代のころの自分に。
あのとき褒められなかったぼくを、嘲笑するひとは誰も居ない!
もう、閉じ込められなくていいんだと。
探しものが見つかりました。センセイ。
町内の業者が舞台を用意して、町民におしゃれを楽しんでもらう。こんなこと今まであっただろうか。
福祉施設を運営している法人だからこそできるのかもしれない。
多世代がおしゃれを楽しむ一日。祥雲館トヨノコレクション2019。
SNSにアップした写真にはたくさんの人からのいいねがもらえた。そしてもちろんケラさんからも。
3 comments
ケラさん、センセイ・・・・・・マサムネさんの人生の1シーンを感じることができました)^o^(
このコレクションでは、いろんな世代の多くの方々がステージに立たれたのですね!ひょっとしたら、そのお1人お1人が、観てもらうために自分を整えながら、スポットライトを浴びながら、拍手喝さいを受けながら、そしてSNSでの反響に喜び驚きながら・・・これまでの自分を心の中で見つめていたのかも知れませんね。そして、その体験は、これからの自分をつくり出していく・・・。素晴らしい企画だったんだなあ~と、記事を拝見して感動しました☆
次回以降が期待されますねヽ(^o^)丿
ありがとうございます!おっしゃるとおり、自分の通った道を見つめ直すいい機会になりました。貴重な機会を与えてくださった祥雲館にも感謝です!次回開催も期待したいですね〜。
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