年代は鎌倉時代と推定、所在は木代福田
昭和49年3月29日に大阪府の有形文化財にしてされる。
切畑法性寺石風呂:年代は鎌倉時代と推定される。この石風呂は僧侶が斎戒の為に使用したという説や、人々が厄病除災にご利益があるとして入浴したという説、単に人々が共同浴場として使用したという説がある。使用目的は明らかでない。石風呂は、大阪府には豊能町、高槻市、茨木市、泉大津市にある。この石風呂は切畑の旧走湯天王社の石槽と伝えられている。石材は花崗岩、長辺200cm、短辺130cm、内法は各150cm、深さ50cmである。側面の排水口にかけて浅い溝があり、また短辺部の上部に1ケ所、給水口と思われる3cmほどの窪みが見つけられている。
上部縁には、このように穴が掘ってあり、この穴に漢方などを置き、体を洗う時に使用したと言う説がある。
切畑法性寺地蔵石仏:年代は正和3年(1314)
4月11日、民話でアップしました「法性寺の影ひき地蔵さん」はこのお地蔵さんです。造立されてから700年以上も経ちますが、さすが石英閃緑岩の美しさがある。
川尻打越阿弥陀三尊笠塔婆:年代は正平7年(1352)。この石仏は、「豊能町の民話」によると、もと川尻地区の裏山の天台山の中腹「石清水」にあったが、この山から見渡せる尼崎の漁師がお地蔵さんが光ってイワシが獲れないというので、この地移したという。それ以来地元では、「イワシ見ずの観音さん」と呼ばれている。南北朝期の正平7年(1352)に造立されたもので、川尻では最も古い紀年銘である。中央の阿弥陀立像は四頭身の像容で連座上に来迎印を結んでいる。頭頂部には枘(ほぞ)がはっきり残っているため、笠塔婆と思われる。阿弥陀立像の右は観音菩薩、左は勢至菩薩で共に連座上に立っている。三体とも像の表現力は稚拙な感じがするが、愛らしい面相や素朴な表現に親しみがある。
下方は半ば土に埋もれているが次の刻銘がある。
敬白
正平七年壬辰三月□□
願主 僧□□
願主 僧□□に二文字は依然読み取った人の話によると「良円」であったと言う。南北朝期、当地は北朝であった為、殆どが北朝年号を使う中、南朝年号の「正平」を使用しているのは珍しい。
ただ今、ガイド中!
切畑大円釈迦堂阿弥陀三尊笠塔婆:年代は乾元二年(1303)
釈迦堂本堂
高山高札場:慶応4年3月(1868年、同年9月に明治に改元)に邪宗門禁止の高札を掲げた。mた、触書などを配布して禁止した。高札は明治6年(1873)に廃止され、現在残っているものはほとんどない。今で言う掲示板の様なもの。
当時のものは高山コミティーセンターで展示保管している。
変形クルス紋
高山光明寺親鸞坐像:鎌倉時代に制作されたであろう。長く倉庫に眠っていたらしく、重要文化財ぐらいの価値のあるものらしい。
高山光明寺:浄土真宗本願寺派。開成皇子(天平神護年間765年勝尾寺開山)が、自作の十一面観音を安置し、紫雲山光明寺と称し、勝尾寺の奥の院として草創されたという。