農業の経験が皆無なのに、かつて所属した部署で農業に関わったことがある。随分前のことだ。といっても、米作りや野菜作りではなく、田んぼや畑の土地そのものの区画整理に携わったことがあるに過ぎない。
豊能町の主な産業は昔も今も農業だ。ただ、いわゆる中山間地と呼ばれる地域であることから、広大な平野において稲作を行ってきた地域とは違って、先人が傾斜地を開いて、水田を作ってきたと言えるかもしれない。こうした農地は地形に合わせて作られたせいか様々な形をしていて、農業の機械化や省力化が進むにつれ、先祖代々の土地の形や場所を大きく作り替えてでも、基盤の整備を迫られることがある。
こうした時に行われる農地の区画整理が、ほ場(ほじょう)整備事業というものだ。農地をできるだけまとめて、大きくて四角い土地や広い農道を作り直し、農業をしやすくするためのものだ。同時に、土地所有者は先祖から受け継いだ土地を、権利はそのままで一旦手放すことになる。田んぼ自体を大きく作り替えるからだ。
以前、携わった事業は約20年間にもわたるもので、土地権利者の代表である役員の方々と幾度とない現場立会、土地の評価、工事確認、意見調整、月例会議などを繰り返し、地域の合意形成を図り、金額の清算をし、最終的に土地の登記までを行うもので、役員の多くは60代~80代までの方々で、当時30代の私にとって皆、人生の大先輩であった。
多くのことは忘れていく。何事も覚えているというのは良いことばかりではないから、忘れていくことは大切だ。こんな風に思っている自分でも忘れられないのは、農業の経験がなくても仕事の相棒として受け入れてくれた、地域の大先輩であるじっちゃんたちのことだ。今回はそんなじっちゃんたちとある道具の話だ。
当時一緒にした仕事の中でも、自分の体を使った仕事は、肉体感覚とともに今でもよく覚えていて、こうした記憶は忘れようにも忘れられないものだ。それは、完成した土地の測量をするための杭打ちの作業だ。この作業は、プラスティックの杭をただひたすらに一本一本地面に打ち込んでいって、点を線で結んで測量していくもので、通常、3人から5人くらいで杭を打ちながら移動していく。この時に杭を打つ道具が、掛矢(かけや)という大きなハンマー状の木槌なのだ。
掛矢は必ずしも農業用の道具というわけではない。例えば、建築現場では柱や梁を組み合わせる際に、トンカントンカンと打ち込んでいったり、土木現場では位置決めの杭を打ったり、壁などを打ち壊したりするのに使用する、槌の部分が重さ3~4kgにもなる道具なのだ。例えば、あの忠臣蔵では、吉良邸への討ち入りの際に赤穂の浪士が門や壁を打ち壊すための武器として描かれているような道具なのだ。
杭打ちの日に、車から掛矢と杭の束を降ろして現場に行くと、地元のじっちゃんたちも集まって来る。それが皆、自分の掛矢を嬉しそうに肩に担いでやってくるのだ。実際の現場では、そんなに何本も掛矢は要らないのに、みんなが持ってくる。それも、現行の、店頭に並んでいるようなものではなく、長年使ってきた仕事道具特有の風合いを帯びた、自分の掛矢を持ってくるのだ。
杭打ち作業の打ち手は主に、皮手袋をした偉丈夫の測量業者だ。が、周りではじっちゃんたちも、何となく杭を打ちたい様子で待機している。打ち手がくたびれて、何となく交代しようかというと、誰彼ともなく周りで次の打ち手を窺う。そこで何となく、自分が、となると、出番とばかりに嬉しそうに両手につばをして、自分の掛矢を振り上げ、勢いよく振り下ろし、杭を打ち込んでいく。この時にしっかり、ぐん、ぐんと杭が地面にめり込んでいくと、じっちゃんたちは少し得意そうな表情で、まるで少年のような晴れやかな笑顔になるのだ。
皮膚感覚としての杭打ちは、杵を使う餅つきに似ているかもしれない。重い杵を振り上げてうまく力を抜いて振り下ろし、杵の芯で餅と臼をつく。掛矢の杭打ちも、杭の芯を打ち抜くことができれば、杭が地中にぐんぐんと突き刺さり、掌にとても心地よい感触がこもるのだ。ただ、刺さりやすいところばかりではない。畦のように柔らかいところばかりではなく、地中に大きな石や小さな礫の多い固い地盤もあって、うまく杭が入らないこともある。それでもそうした作業を何日も何日も、夏の暑い日も冬の寒い日にも、打ち手がくたびれたら誰かが交代し、みんなで協力して一本一本ただひたすらに杭を打っていく。暑い時季には、農小屋(「のうごや」とか「のごや」と言う)の陰でお茶を出してくれたり、秋には柿を手づからもいでくれたりした。次の年も同じように、こうした作業を地道に淡々と継続していく。打った杭の本数は、千の単位でなく、恐らく万の単位だ。
老年にあっても、自分の肉体で仕事ができるのは幸せだ。肉体は覚えているものだから、若い頃と同じようにいかないことが多くなっても、杭の芯を打つ心地よい掌の感覚で、取り戻すものがあるのかもしれない。そして地道な仕事にも喜びを見つけたい。
じっちゃんたちが担いでいた掛矢の記憶は、体を使って働く者の素朴な道具として、全身の感覚と杭打ちの乾いた音と少しばかりの喜びとともに、なお、掌と心の中に忘れられずにとどまっている。
4 comments
大きな杭打ち用の木槌を、掛矢(かけや)というのですね。
その重さ、一振りごとに大地に杭が打ちこまれていく手ごたえ、自らの仕事への達成感・・・ズン、ズン・・・と伝わってくるようです。
きっと私など、振り上げることもできないでしょうが(笑)記事を読ませていただきながら、私もその場にいるように感じました☆
そう言えば、あの、一寸法師に出てくる『打ち出の小槌』って、絵本などでは宝物のように描かれていますけれど、ひょっとしたら、この掛矢のことなのでしょうか!?)^o^(
とよレポみほ☆さん、
コメントを寄せてくださって、ありがとうございます。
今回のお話は、かつての地元の方々への感謝とともに、掛矢という、その時まで聞いたことがなかった道具について書いてみたかったのです。人間が使う道具は、何とも奥が深いですね。
掛矢とはずいぶん大きさも雰囲気も違いますが(^^;)、もしあれが「打ち出の小づち」だったとしたら、今頃、豊能町は宝に埋もれた町になっていたかも…?笑
それも楽しいファンタジーですね☆
マイ掛矢、かっこいいですね。自分にそんな道具はあるだろうか?と考えてしまいます。キーボードやマウスでは様にならないな〜(笑)時間を経て味わいを増すものとそうでないものがあるのは何故なんでしょうね・・・
YASUTさん、
コメントを寄せてくださって、ありがとうございます。
今、大切に使っているものを、修理しながら使い続けることができたらいいですね。
と、同時に物だけでなく、今回の記事のじっちゃんたちのような、年齢を重ねて味わいのある人もあり、そんな風になりたいなあと願いながら、なかなかです✨