豊能町の牧・寺田と亀岡市との境に、この町の最高峰と言われる鴻応山という
富士山によくにたとても美しい山が有ります。
昔、義顕上人と言うえらいお坊さんが、この山の麓を訪ねた時のこと、はるか山の頂上にとてもめでたいむらさき色の雲がたなびき、二羽のこうのとりが舞いながら飛んできて、山頂付近で舞い降りたり、舞い上がったりしていました。
義顕上人が、これはどうしたことかと山の頂上に登ってみると、そこには二寸三分の仏様がおられたそうです。お上人様は、その仏様をとても大切に山の下まで持ち帰り、自ら仏様と同じ大きさの薬師尊像を彫られました。
そして山の頂上におられた二寸三分の仏さまを薬師尊像の体内に納め、山の麓にお祀りなされたと言います。そのときから、二羽のこうのとりが舞い、仏様がおられた山は「こうのやま(鴻応山)」と呼ばれるようになったということです。
豊能町教育委員会発行「豊能町の民話」より
青峰寺:曹洞宗の寺院で本山は永平寺で池田大廣寺の末寺。
嘉祥3年(850)義顕上人が開祖と言われています。創建は正応4年(1291)宗観和尚の創建。天正17年(1589)義観首座により再興。寛永年間の恵林逸能和尚を中興開山とする。
国宝に近いと言われる古い鐘であり、鋳造の年月が記されていない。
阿弥陀さんのお堂の近くに、保の谷の子安地蔵さんのお堂があります。いつもお茶やお花が供えられ、みるからに幸せそうなお地蔵さんです。昔このお地蔵さんは、人もめったに通らないような山あいの道端に、捨てられたように、ころがっていたそうです。それではあまりに、もったいないので、保の谷の先祖の人が持ち帰り、ねんごろにお祀りし、今にいたっている所です。
以前は個人の屋敷内におまつりしていましたが、最近になり人通りの多い現在の地に移され、人々に親しまれています。近所の子供たちがかくれんぼをして遊んだ時など、おさがりをいただいたり思い出のお地蔵さんでもあります。
豊能町教育委員会発行「豊能町の民話」より
六地蔵尊は六道の世界を輪廻転生しながら彷徨い続けるひとすべてを救済し、極楽浄土へ導いて下さるという菩薩様です。「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」の六道を行脚されるお姿を六体の尊像に表したのが「六地蔵尊」です。この地蔵尊は江戸時代後期に造られたものと思われます。団地が出来るまで、一時高代寺のお墓に仮置きされていたそうで、完成とともにここにお祀りされています。六地蔵尊は豊能町にはあと高代寺の参道にあるだけと思います。
4 comments
保の谷のお地蔵様と六地蔵様は、どこにおられるのでしょう?
会いに行ってみたいです(#^.^#)
新光風台のダムに行く道の信号を超えて、100mぐらいの所右側に行き(高代寺に行く道)30mぐらいの所左に入る。登り切ったところが「子安地蔵」「一庫ダムが一望」がありまして、道なりに(カーブ)下りていくと、左上にあります。
44ときわさん、保の谷の、お堂のお地蔵様と六地蔵様に会いに行ってきました\(^o^)/ 初めてご挨拶できて、うれしかったです。
一庫ダム一望も、すばらしい眺めでした。教えて下さって、ありがとうございました☆
興味深いお話しが満載で、段落ごとに「ほー!」「へぇ〜!」と声がおもわず漏れました。これからもぜひいろいろな歴史や知識を教えてください☺️たのしみにしています。