気がついたんだけど人類って誕生以来そんなに毎日風呂入ってない。毎日風呂に入るようになったのはここ数十年くらいで、それまでは、例えばぼくのおばあちゃんあたりの世代では毎日風呂に入らないくらいのほうがめずらしくもなかった。
くさいのではないか?
たしかにくさい。風呂に入らなければ(倒置法)。
しかしながら、毎日風呂に入らなかったときの体のにおいより、それを気にしないという人類が持つメンタルの強さのほうを、ぼくは信じたい。
自己とはノイズキャンセラである
というわけで、風呂に入る前に(あるいは、風呂に入らないという決断を下す前に)ヒトが持つにおいを感じる器官、つまり鼻について思いを巡らせたい。こうみえてぼくも社会性動物である人間の一人である以上、他人からどう見られるか(どうにおわれるか)、他人の鼻はどうなってるのか気になるのである。
そもそも鼻というのは匂いを嗅ぐためについている。これについて異論のある者はいないだろう。おそらくニンゲンがまだ野生動物だったころ、危険が迫ってないか知るため、または食べられるものか嗅ぎ分けるため搭載したセンサーであることは疑いの余地がない。結果的にとても役に立つので次々と下の世代にも受け継がれていき今も存在していると考えられる。
であるならば、匂いを嗅ぐセンシングとして一番邪魔になるのはほかでもない「自分の匂い」だ。周囲を嗅ぐためについてるセンサーである以上、匂いという情報の入力値が一番多いのは自分から発する匂いのはずである。結果的に、「危険が無いか周囲の匂いをかぐためについてるセンサーなのに、自分の匂いを一番拾ってしまってうまく機能しない」という事態だけは避けたい。そうなると次に必要なのが、「嗅いだ匂いのフィルタリング」である。
そう、鼻は匂いのフィルタリングを行っているのだ。
実際にフィルタリングを行っている箇所が、鼻から脳へ信号を送る段階なのか、それとも受け取った信号を脳が処理する段階なのかはわからない。だが少なくとも確実にいえることは「永続化される強い匂いはフィルタリングされる」ということだ。
すぐに風呂に入るからくさいのでは?
話を風呂にもどそう。人類が長いあいだ毎日風呂に入らなかったことを考えると、こんなに毎日風呂に入る今こそ異常事態といえるかもしれない。人類が社会性動物として文明を発展させてきた以上、風呂に毎日入らない他人がくさければ社会は生まれず文明は発展せず人類史は存在しなかったはず。ところがそうはなっていない。
社会は繁栄し文明は発達し人類は栄華を極めている。人類史のそのほとんどを毎日風呂に入っていなかったにもかかわらず、だ。
ならば。ここに高らかに宣言しよう。毎日風呂に入らなかったからといってくさくならない。鼻のもつフィルタリング機能のほうが勝るのでくさいと認識されないのである。自信を持って風呂を拒んでいいのだ。
そうは言っても正宗3くさいよね?
その件は本当にすいません。実際には毎日風呂に入ってます。毎日入っててこれなんです。悲しい。
結局なにが言いたいの?
この質問には二つの意味が含まれていると考えよう。ひとつは文字通り「なにが言いたいのか」、もうひとつは「この記事が町のPRと何か関係があるのか」
前者の質問に対してはとても単純で、「二、三日体洗わなかったときのほうが肌の調子も髪の調子もいい」ということ。
そのこと自体にはもっと早くから気づいていたはずなのに、それでもぼくはせっせと毎日体を洗って肌や髪にいろいろな添加物を塗って調子を整えていたこと。
なぜか。思い込んでいたからである。「毎日風呂に入ることが常識である」と。それと怖かったからである。「毎日風呂に入らないとくさいと思われるのでは」ということに。
後者の質問に対して、「実は町のPRと関係があるんです」と言えればかっこいいんだけど、今のところは関係ない。関係はないんだけど、物事の当たり前は簡単にひっくり返るということだけは言いたかった。
今まで自分が当たり前だと思ってたことがいろいろとひっくり返ったとき、ぼくは住む場所をある程度自由に選べるようになった。経済的に豊かになったとかそういう意味ではなく、生活するうえで「必要だと思ってたもの、便利だと思ってたもの」がすべて整ったのだ。
住む、暮らすとはどう生きるかと同義だ。生き方をある程度選べる人間が住む場所として選ばれる場所。ここ豊能町はそういう場所として適している。ここでもまた常識の逆転が生まれる。今まではこういった郊外の町は失礼ながらいわゆる「選ばれない側」にあると思っていた。しかし「必要だと思ってたもの、便利だと思ってたもの」の転換が起きたとき、すべての流れが逆転した。ここ豊能町は「選ばれる町」になるのだ。
人類が毎日風呂に入るようになったのがたかだか数十年なのに、絶対毎日風呂に入らないといけないと思い込んでいたように、地方が寂れてるのだってたかだかここ数十年なのだ。ここに人は何千年と住んでたし、ここを離れないと暮らしていけないというのはたった最近数十年の思い込みだ。人がわざわざ地方にやってくる流れは必ず来る。
言葉少なく戯れ言を繰り返しているなかで、発想が飛躍しすぎてて唐突に思われるかも知れない。それは幾分も承知の上だ。自分だって未来のことがわかるわけではない、ただ風呂を二、三日おきくらいに入るように間隔をあけたいと画策しているだけの男である。ただ、このトヨノノPORTALでの活動を通じて、選ばれる町として動いていく町の姿を伝えていきたいし見極めていきたい。し、それが楽しみだ。
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おもしろいW
[…] 二、三日風呂に入らなくてもなんとかなる件 […]
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