私たちにとって身近な料理であるスープ。飲むと体だけでなく心もホッと温まり、何だか元気になれる料理だ。そんなスープを豊能町で真心込めて作り続けているのが、料理人・中田淑一さん。中田さんのスープは食べる人を笑顔にする。そこには食材へのこだわりだけでなく、これまでの色々な経験と食への想いが詰まっていた。
食べることができる幸せ
子どもの頃から、遠方の両祖父母を介護する母親の背中を見て育った中田さんは、母親の目が不自由なこともあり、自然と手伝いをするうちに食事を作ることを覚え、進路を考える時期、偶然テレビで視たフランス料理の素晴らしさに魅了され料理の世界へ進んだ。
辻調理師専門学校でフランス料理を学んだ後、フランスの併設校に日本人スタッフとして赴任。何度か往復する間、フランスをはじめヨーロッパ各国やアジアに出向き、様々な食文化や価値観に大きな刺激を受ける。帰国後も同校で教鞭を執るかたわら、国内外のセミナーで食育や地産地消を推進。シェフとして順風満帆に歩んでいた。
ところが16年前、36歳の時に人生の転機が訪れる。大病を患い死線をさまよったのだ。点滴だけで口から食事を摂れない日々。人の咀嚼音がいつもより大きく聞こえ、匂いが鼻をくすぐる。頭でアカンとわかっていても食欲と闘うのは修行のようだった。“食べられる幸せ”を身をもって知る……元気な時は自己満足で料理を作っていたところがあり、見栄えや自分をアピールするツールだったと振り返る。この経験から、素材選びや料理自体の考え方など、世界観が一変する。
命のリレーのアンカーとして
仕事に復帰してからは、以前にも増して素材そのものに興味を持った。「こんなに苦労してニンジンが作られていたんだ……」。初めて訪れた畑で知った生産者の努力。昔、調理場で「今日の玉ねぎは小さいな、あまりいい状態ではないな」と平気で言っていたが、そんなことを口にできなくなった。雨の日も風の日も野菜を一生懸命に育てている生産者は、”命のリレー”の第一走者と考えるようになった。
また農林水産省から依頼を受け、駆除した害獣を使ったジビエ料理の普及啓発に携わるように。これまでとは違った責任感を持ち、「生産者の想いや命への感謝を忘れることなく、料理人としてアンカーの務めを果たしたい」と心に決めた。
豊能町との出会い
13年前、住んでいた吹田市を含む千里ニュータウンは、老朽化から再生指針を発表。自宅の建て替えか引っ越しかを迫られた。体調や子育てのことも考え、環境がいいところへの引っ越しを選択。車を走らせ、ふらっと立ち寄り目に留まったのが吉川小学校だった。近くをぶらぶらしていると、よそ者だと思って地元の人にかけられた「ここで子どもを育てるの、すごくええ環境やで」という言葉。印象に残ったこの言葉に背中を押され、豊能町に移ってきた。これまで長崎、大阪、東京、フランスと移り住んだが、ここは町の人がとても温かくて気持ちがいい。近所の人に次の目標を話すと、地域で多くのつながりを持つ人を紹介してくれた。Face to Faceの不思議なご縁がきっかけとなり、この町で自分がやりたかったことにたどり着く。
スープで大切な人を想う気持ちに寄り添いたい
次の目標は、スープを作ること。病後、料理研究家・辰巳芳子さんの”いのちのスープ”に出会い大変感銘を受けた。食べることが好きだった辰巳さんのお父様が、病気で嚥下困難になったのをきっかけにお母様と考えられたスープ。少しでも口から栄養を摂り続けたことによるスープの有効性から、病院や介護施設で提供されている。中田さんはこのスープをヒントに、これまで培ってきた調理技術と豊能町で採れる旬の食材を使って、スープを作ることを思いついた。
作っているのは、腸内環境を整える米麹と豊能町産の玉ねぎをふんだんに使った基本のスープと、3種類の野菜ピューレ(赤・緑・黄)のセット。好きなピューレを混ぜて飲む。赤は牧産のニンジンで、規格外だが新鮮で甘みが強く、色鮮やかで食欲をそそる。緑は菊菜、黄は黄ニンジンなど、その時々の旬の野菜を使うことにしている。旬の野菜には、その時にしか与えられていない自然のパワーのようなものがある。それを食べることで、きっと人も元気になれると信じている。またピューレが3種類あることで、毎日飽きずに味のバリエーションを楽しめる。スープにはとろみがあり、お年寄りや離乳期のお子さんも口からこぼしにくく、食べさせる人の負担も少ない。もう少し食感を残したいときは、咀嚼のレベルに合わせた調整も可能だ。
現在、中田さん自身も姉と共に両親を介護している。両親にスープを飲んでもらい、少しでも食べる楽しみを感じてもらっている。豊能町にも自分と同じように、誰かを思っている方が大勢おられる。子どもを心配しているご両親だったり、その逆も。だけど何をしたらいいのか分からないという方に、このスープを知っていただき、その方から「スープを送ったから飲んでね」と届けてもらうことで誰かを応援出来たら嬉しい。
あなたしか助けられる人がいない!
ひとつ、印象深い話がある。「あんたが作ったスープで何とかできへんか?」。家族が余命わずかと宣告され、在宅療養を選択したという人からの電話だった。食事は摂れないが少しでも口に入れてあげたい……ご家族の悲痛な叫びに導かれお宅に向かった。
ご家族に、好みや冷蔵庫にあるものを伺い、調理工程を横で見てもらう。「えっ?」普段と違う野菜の切り方、火の通し方に驚かれる。「今までこんなことをやっていたけど、せんでよかったんや」「こんな風にしたらアカンかったんや」と、つぶやきながら笑みがこぼれる。途中から「これ混ぜてください」と、教えながら一緒にスープを作っていく。ご自身で作ることで、体にとって安心・安全な食材だけを使っていることを実感してもらう。そして最後の味付けはバトンタッチ。塩やこしょうだけではなく、真心=気持ちがこもったエッセンスが必要。味見し「これくらいでどうですか?」「いいと思います」たわいもないやりとりがご家族の緊張を解きほぐす。当初の少し疲れた顔から、会話が生まれ、段々楽しそうな顔に変わっていった。
後日、看取られたご家族から「最期までスープを飲んでくれましたよ。あの(調理の)時間が結構楽しくて、思い出に残っています」とメッセージをいただいた。自分もそうだが介護は気の重たいことが多い。ほんの少しの時間でも、気持ちを共有してもらえると楽になる。「1人で抱えられなくなった時、ぜひ僕を思い出して呼んでもらいたい。」
商品化に向けて
スープの商品化はこれから。現在は自宅で作って両親に届けたり、知り合いのお宅に伺い作っている。目下、製造拠点を探しており、見つかり次第必要な許可申請を行う。拠点が決まれば、製造を開始し先ずは近場から届けられるように進めていきたい。また、希望者には会員システムを作り、定期配送をすることも検討している。送り主には調理の動画を配信して、誰もが自宅で作れるような教室も併せて広めていきたい。
食べることができる幸せを全ての人に
いずれは「わがままの言えるレストラン」を立ちあげる。お客さまが、シェフに気兼ねなく相談をしてメニューを決めるレストランだ。好き嫌いやアレルギーはもちろんのこと、小さな子どもがいる人や、病気の影響などで外食を諦めている人に、改めて“食べられる幸せ”を感じてもらえる場を提供する。そして、家族と一緒に会話を楽しみ食事にかける時間を大切にしてもらいたい。この町を知れば知る程、人と人がつながる程、アイデアが湧いてくる。
「10人シェフがいたら、9人はホテルやレストランの総料理長を目座すだろう。きらびやかなフランス料理はその人たちに任せて、1人ぐらいこんなシェフがいてもいいかな……僕はその1人になりたい」。少し照れながら話す中田さんの表情には、優しさと強い意志が込められていた。
Le tonton 中田淑一(なかた・としかず)
豊能町在住。辻調理師専門学校 を今春退職。
32年間、食を通して多くの学生にメッセージを伝える。
2000年『九州・沖縄サミット』、
2014年 寝台特急『トワイライトエクスプレス』の最後を飾るメニュー開発、
2019年『G20サミット』で料理を担当。
食育本の執筆などにも携わる。
Mail: n.tskha1022@gmail.com
紹介動画:https://youtu.be/9M03gmt5dm8
Instagram:@le__tonton
◆ このプロジェクトの連絡先
料理人 中田 淑一さん
Mail: n.tskha1022@gmail.com
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取材日:2021/02/11
文・撮影:てつこ
写真・動画提供:中田淑一
取材協力:たるてぃーぬ