吉又さん
昔むかし、今から百年あまりも前、吉川の村に大きな火災があったそうです。
お百姓さんの小屋から火が出たそうで、大きな大きな火事となったといいます。
どこからか白い鳩が飛んできて、村の家々の屋根に火をつけてまわったといい、35軒のあまりの民家や土蔵、小屋が焼けたそうです。それから村の人達は、
神様をお祀りするようになり、吉又大明神として、現吉川小学校のプールの上の山すそに、お社をつくり祀ったといいます。
毎年5月8日に、あま茶をお供えし災害の祈願をしたところ、十年間火事が起こらなかったといいます。
そこで吉又大明神を、吉又稲荷大明神として昇格し、お祀りしておられるといいます。今でも8日には、何人かの信者の人が集まり、お供え物をしてお祈りし、その後あま茶を家に持ち帰り、家族でいただき、火事がおこらないようにと祈っておられそうです。
(寺の棟にとまっていた白い鳩をうったら、その白い鳩が家々の屋根に火をつけまわっとの言い伝えものこっています。)
豊能町教育委員会発行「豊能町の民話」より
亀高さん
むかし、山道で子供たちが亀をおもちゃにして遊んでいました。そこを通りかかった瓦屋さんのおばあさんが、かわいそうにと思って、子供たちにお金をあげて、亀を助けてあげました。おばあさんは、「亀さん、ええとこ行きなはれや」といって亀を逃がしてあげたそうです。
それから十年の月日がたちました。おばあさんの家の瓦の作りが、土に塩分などが入り、うまく出来上がらなくなりました。思いあまったおばあさんは、村の
おがみ屋さんにたずねに行きました。すると亀の霊があらわれて「花折れの川に、亀の格好をした石があるんや。それがわたしや。その石を持ち帰って祀ってくれ、きっと瓦がうまく作れるように守ってあげるでな。」といったそうです。
おばあさんが、その石を探しに行くと、ほんに花折れの川に、亀さんに似たかっこうの石がありました。おばあさんは、大喜びでその石をひらって、家に持ち帰りました。そして息子が亀の姿そっくりの瓦をやき、拾ってきた石の上に置いて、良い瓦が焼けるようにとお祈りしたそうです。それからは、おばあさん家では、よい瓦が焼きあがるようになり、たいそう繁盛したそうです。
豊能町教育委員会発行「豊能町の民話」より
瓦屋の製造工場は、今の東ときわ台2丁目あたりにあります。