今年も高山地区の棚田を中心に高山右近夫妻顕彰会の主催の「高山右近フェスタ」が開催されます。令和4年10月15日(土)14時~20時、昨年同様夕暮れコンサート、ワークショップ、他、本年は、ドローンイルミネーションショーがおこなわれます。雨天の場合は中止。駐車場有。お問い合わせ:ukonk22@gmail.com
会場の高山棚田。ドローンにて撮影。畔にペットボトルを半分にカットし、中にロウソクをさして火をつけます。
今年は本邦初演の(株)UAVJAPAN(大阪市)によります、オリンピックでおなじみの企画・開催など最先端のテクノロジーでドローンの輝きを見せて頂きます。夜空に乱舞する光を楽しんでください。(画像はイメージです)
高山右近について:右近の父である飛騨守の祖先は代々高山の実力者で、戦国時代の下剋上に乗じ永禄2年(1559)三好長慶にぞくする松永久秀の配下になり、大和・宇陀の城主になる。右近は天文21年(1552)飛騨守の長男として誕生し、幼名は彦五郎で生誕地ついては近江、大和・沢、摂津・高槻などの説があるが摂津・高山が有力である。10歳ぐらいまで高山で暮らしていたと言われています。飛騨の守はダリオ、母はマリヤ、彦五郎はジュスト(ユスト)の洗礼を受ける。元亀4年(1573)和田惟政の死後、飛騨守、右近親子は長男惟政を追放し、飛騨守は高槻城主になる。その後飛騨守は家督を右近に譲り右近は城主になる。領内に20余教会を建て、天正9年(1581)に巡祭師ヴァリニャーノを迎え復活祭を実施する。領民25,000人のうち18,000人がキリシタンになったと言われています。天正10年(1582)本能寺の変時に、右近は秀吉方につき、功績を上げる。さらに、小牧・長久手の戦い、根来攻め、四国攻めにおいても功績をあげる。家康は右近の力量を高く評価していたと言われています。天正13年(1585)、四国攻めの論功行賞により、秀吉より明石6万石に転封される。天正15年(1587)九州征伐に参戦後の6月19日に秀吉が伴天連追放令を発令する。右近は信仰を貫き、領地を没収され追放される。小西行長に同行し、小豆島、肥後に行く。その後、前田利家の客将として加賀に招かれる。利家亡き後は利長に仕え、関ヶ原の戦い、大聖寺攻めに参戦する。金沢滞在は26年間に金沢城の修築、高岡城の築城にあたる。右近は築城の才能は素晴らしい能力を持ち合わせていたと言われています。慶長19年(1614)、家康がキリシタン禁止令を発し、右近は妻・娘・孫たちとともにマニラに追放される。到着後わずか40余日の元和元年(1615)2月3日熱病のために63歳で亡くなる。盛大な葬儀が行われたとと言われています。右近の評価は⓵武将として(山崎の合戦、小牧・長久手の戦いほか)⓶キリシタン大名として(高槻4万石、明石6万石ほか)⓷築城家として(高槻城修築、金沢城修築、高岡城築城ほか)⓸茶人として(利休七哲のひとり)⓹国際時として(信仰者、保護者、殉教者として、ポルトガル語に堪能ほか)、以上5分野で高い評価をされています。
高山右近生誕の碑:この石碑は1998年に建立されたもの。右近は幼年期・少年期(1552~1569)ここで過ごしました。
高山右近夫婦像除幕式:平成27年(2015)5月31日に右近没後400年を迎えて、生誕地の顕彰行事と右近の郷に夫婦像が建立された。
平成27年10月11日、第一回の高山右近フェスタとして、キラキラとキャンドルが花が咲いたように、棚田のあぜに見事に灯されました。
ペットボトルを1/2にカットし、中にロウソクを立てて点火します
平成28年10月9日(2016)
右近フェスタ、コミティセンターにて
第五回:平成29年10月9日(2017)
住吉神社にて
子供みこし、住吉神社にて
花嫁行列、高山コミティセンターにて
令和3年10月16日
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[…] 棚田をキャンドルの灯が輝き続ける高山右近フェスタ。今年は夜空にドローンのイルミネーションが加わります | トヨノノPORTAL – 曲がりくねって、ただいま。大阪府 豊能町 – (to […]