「10月12日 木代地区の秋祭り”太鼓担ぎ出し”を行います。ぜひ見に来てください。」トヨノノレポーターに届いたお便りには、ヨーーイヤー サーーサァ!と大きな声で練習に励む子どもたちの動画の姿が添えられていました。
実は同じ町内でもエリアが離れてしまうと、 いつ 何時に どこで 開催されているのか、果たして見に行っていい類なのかも案外わからないものでして、このようにご案内いただくのは嬉しい限り!
1日かけて木代を巡る運行経路の中でも、特におすすめ!として挙げていただいた、
・14:30予定〜 余野交差点
・18:00予定〜 宮入り
を取材してきました!
昼間のクライマックス! 余野交差点巡行


余野交差点は能勢や亀岡〜池田や箕面に抜けるための重要なルート。地元の警察の協力を仰ぎながら、車両と折り合いをつけつつ神輿巡行が行われます。
いつもの生活道路に、伝統的な神事が混じって溶け込む様、車を気にせず太鼓神輿がマイペースに威風堂々と巡行する様がとても魅力的でした。


掛け声や担ぎ方にはいくつかパターン化された特徴があるようです。(個人の観察範疇なので有識人のアドバイス求む!)
- 巡行中:ゆったりと「ヨーーーイヤーー サーーーサァーー!」の掛け声
- 巡行中:「ヨイヤ サッサァ!」の掛け声に合わせて、右側の担ぎ手、左側の担ぎ手が片側づつ順番に神輿を持ち上げる
- 神輿差し上げ:「サーセサッセ!」の掛け声とともに、神輿を頭上より高く3回さし上げる。
- 神輿回転:スピードアップした太鼓のリズム[ドコドコドンドンドン]に合わせて「ワッソーーラ!」
- 宮入り:手拍子にあわせた宮入唄
ネットでしらべてみたよ
ヨイヤサは他のお祭りでもお馴染みの掛け声。一説によると、重いものを持ち上げる際の「どっこいしょ」の意だったり、語源は「いっそう栄える」という意味の「弥栄(いやさか、やさかえ、やさか)」が転じたものとされている説もあるそう。
サセサセは神輿を上へ高くさし上げる時の掛け声としてよく知られている様子。サセ=差せであり、神輿(神様)を「差し上げる」の意が含まれているそうです。( 参考 )


一番の見せ所、幻想的な宮入り
あたりが薄暗くなるころ、祭りは第2の顔を見せます。神輿に吊るされた数多のちょうちんに、明かりが点灯。しかもこの光源、現代的な電球やLEDではなく、一つひとつ本物のロウソクが使われています。
ロウソクの揺らめく炎は、祭りの夜を幻想的に彩る一方で、神輿が激しく揺れ動く最中にちょうちんが燃えてしまうリスクも伴います。しかし、担い手たちはそれを意に介しません。彼らにとって、ちょうちんは「消耗品」。燃えたなら燃えたで、盛り上がるんですよ、とにこやかに教えてくれました。

「落とすなよ!」という声や「今年は一度も落とさなかった」というお話しから察するに、総量2トンにもなる神輿を一度も地面につけずに巡行を終えることが”掟”とされている様子です。
かつては長男のみ。時代と共に変わる「乗り子」の掟
神輿には「乗り子」として勇ましく太鼓を叩く4人の男の子。彼らはいわゆる”神様の使い”とされるため、神聖な存在だとして決して地面に足が触れることがないよう、神輿の乗り降りの時も大人たちが担いで移動するのが決まりだと教えていただきました。(そういえば、巡行の合間に大人たちの肩に担がれた子どもを見かけたけど、そういうことだったのか。てっきり遊んでもらってるのかと)

現在、乗り子になれるのは小学1年生から中学1年生までの男の子。聞けば、かつてはルールがもっと厳格だったのだとか。昔は地域に子どもが大勢いたこともあり、乗り子になれるのは高学年(小学4年生から6年生)までの「長男」だけに許された、大切な役目。
今も昔も「乗り子」に選ばれることは、一家にとっても本人にとっても大変名誉なことと教えていただきました。
口承で後世へ。一日で組み上げ、解体される神輿
祭りの主役である神輿は、総重量が約2トン。それを約60人の男たちが担ぎます。そのスケールだけでも圧倒されますが、さらに驚くべきはその設営方法。
この美しい神輿は、なんと祭りの前日に、たった1日でゼロから組み上げられるのだそうです。そして祭りが終われば、また完全に解体され、次の年まで大切に保管されます。
昔は日々の仕事で鍛えられた屈強な男たちが、今より少ない人数で担いでいたそうです。しかし、より迫力ある祭りにするため、なおかつ現代の担ぎ手たちの腕力低下に合わせ大人数で担げるよう、担ぎ棒をより長く作り変えた歴史もあるといいます。伝統を守りつつより魅力的なものにするための工夫や変化を厭わず、次世代へ繋いでいく意思を感じます。

実用を兼ねた美しさで目を奪われる、まんまるに縄で縛られた部分も、縄をすべて都度巻き替えるなど、その維持管理にかかる労力は計り知れません。この作業を繰り返すこと自体が、この祭りと地域への強い想いを物語っているようで、私は憧れて止みません。






◇
見に行きたい!集落外のわたしたちの楽しみ方
この祭りは、地元の自治会と消防団所属の住民たちによって運営されています。
地元の人間以外は、神輿を担ぐことはできません
人口減の町ゆえ、担ぎ手不足は課題ではあるものの「地元の人間以外は、神輿を担ぐことはできない」というルールが存在します。一見すると閉鎖的に聞こえるかもしれませんが、これには極めて切実な理由がありました。
「怪我がないとは保証できんし。地元やったら『まあしゃあないな』でお互い諦めることもできるんだけど。」
万が一事故が起きた時、訪問者の安全を保証することはできない。地元の人間であれば「祭りのことだから仕方がない」と覚悟を共有できるが、その重すぎるリスクを訪問者に負わせるわけにはいかないのです。
このルールの背景には、担い手たちのこんな本音も隠されていました。「閉鎖的やけど、そんな感じにせんと怖いから」。論理的な安全管理であると同時に、伝統を預かる者の責任の重さを感じます。
見物客として100%楽しむ
担ぎ手としての参加は厳格である一方で、見物客としての訪問は心から歓迎しているとのこと。
「むしろ来てもらった方が嬉しい」という言葉に、伝統を守るための強い覚悟と、自慢の祭りを分かち合いたいという温かい心が共存していました。
◯日程について
”太鼓担ぎ出し”は、本来は2年に一度の10月15日。令和7年度は10月12日だったのは、町外に出てしまった担ぎ手たちが集まりやすいよう3連休の間にしたそうです。つまり、次回は再び日にちが変わるかもしれないため要注意です。
◯お花代について
巡行の合間に、地域住民や観客たちは世話役に声をかけ、応援や労いの一言とともに祝儀袋を手渡していました。ご祝儀は「お花」と呼ばれ、お花を贈った人は、名前や企業名が書かれた短冊を神輿に貼り付けてもらえます。これが担ぎ手たちとともに巡行をご一緒している気分でちょっと嬉しい。

わたしたちもぜひ応援の気持ちを伝えたく、ズバリ「相場はいくら…?」と聞いてみたところ、金額はお気持ちで、とのこと。お花は決して強制ではありませんが、応援の立場をお伝えし見物するのはお互いにとって気持ちの良いシステムだよなぁ、と個人的には感じています。
写真では伝えきれない躍動感を動画でぜひ
最後に
今回訪れた”太鼓担ぎ出し”は、時代の変化に適応してルールを変え、より魅力的であろうと進化する一方で、本質的な価値と安全を守るための「厳格さ」を核とした、まるで一つの生命体のような存在でした。華やかな表舞台の裏側には、伝統の「保存」と「適応」の間で葛藤しながらも、それを未来へ繋ごうとする人々の、静かで力強い物語が今も続いています。
いつもは心優しく温和な豊能の民の、血が沸る瞬間を秋祭りで存分に目撃し「やっぱりね…」「やっぱりな…」となぜか私がしたり顔でニヤニヤしてしまう一部始終だったわけですが。またこの町がより一層好きになった取材でした。
祭のお忙しい合間を縫って、笑顔で取材に応じていただきました石伏さん、ありがとうございました!