今年よりスタートした新しい取り組み、豊能町のいいこと発信・発見する「こどももレポーター」。年齢制限なし、居住区問わず参加できるこども目線のトヨノノレポーターです。
古代〜江戸時代まで使われていた長尾街道を探検!
2024年10月26日(土)に開催したのは、豊能町の”いいこと”を発見するフィールドワーク。長尾街道を探検する歴史ハイキングを決行しました!実は、豊能町の吉川〜東ときわ台には古代から江戸時代まで実際に使われていた古道「長尾街道」が存在します。
「長尾街道」のマニアックな見どころや楽しみ方をトヨノノレポーターであり、豊能町文化財保護委員の前田さんに教えていただきました。
かつての天皇も通ったとされる古道「長尾街道」
集合場所は大阪最北端の駅、レトロな駅舎がかわいい能勢電鉄「妙見口」駅。
ハイキングをする前に、今から歩く長尾街道とはどんな道?という簡単なレクチャーからスタート。
長尾街道は、大阪市住吉区にある住吉大社に古くから伝わる書物「住吉大社神代記」に初めて名前が登場します。そのむかし、難波に都がおかれた時代、天皇が丹波へ行かれた際の帰り道に利用されたと言われています。
平安時代には、能勢町では銅が採掘されていたほか、滋養強壮の薬草「ジオウ(地黄)」が栽培されており、京都の都へ運ぶ際に長尾街道を使っていたとされています。
江戸時代になると妙見山への信仰が盛んになり、各地から妙見山への参詣道として長尾街道が利用されていたのだとか。
長尾街道とは池田の古江集落から、箕面の西を経て豊能町吉川へ入り、能勢の地黄・倉垣・吉野の「柊峠」までの間のことをいいます。
柊は常緑樹で、葉は堅く、葉の緑には鋭いトゲがあり、秋には白い花を咲かせます。葉にあるトゲに注目し、古くから邪気や悪魔の侵入を防ぐ手立てとして、村の入り口や峠に植栽されており、それが地名となることがあるそう。能勢町吉野の「柊峠」も同様に地名となったとされています。
長尾街道はよく利用されていた道でしたが、明治時代に新しい道が作られたため廃道になったそうです。地域全体が新しく生まれ変わり、整備された道が町を通るようになり、今では長尾街道の全貌はわかりにくくなってしまったとのこと。
その長尾街道の一部が吉川に残っているそうで、その道は一体どこにあるのか?と歴史探検ハイキングがスタートしたのでした!
吉川地区に残る常夜灯の数々
妙見山への参詣道として、吉川地区には茶店・宿屋が並び「花折街道」と呼ばれていました。夜間に往来する参詣人のため、各所に常夜塔が作られたそうです。
吉川自治会館の裏手に二つ並んだ常夜塔は、とても似ていますが細かくみれば細部に違いがありました。
写真奥のものは「能勢郡」と書かれており、安永三年(1773年)、刻銘から能勢郡の講が建立者で石工も能勢郡の石工の手によるものだとか。写真手前のものは「妙見宮」と書かれており、嘉永六年(1853年)、尼崎の人が建立者、大坂松屋町の石工が製作したものだそうです。道路の改修工事で移転され、現在は二基そろって吉川自治会館に移設されました。
吉川自治会館の入り口や妙見口駅前には花折街道の石碑も。この形は包丁を研ぐ砥石を模しているそうで石の真ん中がふたつに分かれていました。
吉川地区には東西に走る砂岩質の鉱脈があり、高台寺の東斜面には部分的にその石材があることから江戸時代から大阪では刀剣の砥石として有名だったそう。石碑の表面をこどもたちみんなで触って「ツルツルしてる!」「真ん中がわかれてる!」と観察タイムを楽しみました。
(文献:「摂津名所図会」能勢郡の頁、「摂陽群談」16集、名物土産のページに「磨刀剣宜し」の記載あり)
ひっそりと佇む石碑にも注目!
初谷川方面に向かう途中の小さくて急な傾斜道を登ります。
普通に歩いているだけでは思わず通りすぎてしまうところに石碑がふたつあり、「実はお相撲さんの石碑なんです」「これは山登りをしていた一般の人の石碑でしょうね」など前田さんからのガイドが入ります。
登り切ると栗が落ちていて大人もこどもも思わず足を止めて栗に夢中になりました(笑)
マイナスイオン感じる山の中へ。いよいよ長尾街道へ
案内された道をぐんぐん進み、緑が深まる山の中へ。この道はアスファルトで整備されています。道中には炭焼きの窯跡もありました。
そのまま山を進むと、ロープが張られている広場に到着。よーく見ると木々が生い茂っている中にうっすらと凹みが感じられる箇所が。
落ち葉や倒木などではっきり道らしいものは見えませんが、踏みしめられていた形跡が残っていました。長尾街道をかつてのように「歩く」には難しい状態でしたが、ここにたしかにあった古道の名残を感じました。
本来ならば、ここから東ときわ台方面へ抜けていくのがベストなのですが、この日はここで終了。
事前に前田さんと下見に行ったときは、山を抜け東ときわ台小学校あたりまで歩きました。山から住宅街へ下っていく砂地の傾斜道には石がところどころに敷き詰められ、かつて昔の人が石を敷き詰めて道をつくっていった名残を感じることができました。
こどももレポーターのフィールドワークだった今回は吉川自治会館へ立ち寄り、ところどころレクチャーを挟みながらのハイキングだったの途中でUターンしましたが、大人の足では妙見口駅から東ときわ台小学校方面まではゆっくり歩いて約1時間ほどであれば到着しますのでぜひ興味のある方は歩いてみてください。
見慣れた住宅街から一歩入れば出会える歴史の痕跡。都会では味わえない、豊能町ならではのハイキングとなりました。トヨノノレポーターの前田さん、ありがとうございました!
こどももレポーターたちの新聞
後日、こどももレポーターさんからお手製の新聞が届きました!みんな細部まで表現を凝ってくれている力作です。この新聞はとよの文化祭でもお披露目させていただきました。こどもたちの視点で豊能町の魅力を発見・発信してくれました!
ご参加いただいたこどももレポーターさん、ありがとうございました!