豊能町、能勢町、猪名川町、川西市‥‥このあたりには、昔、銀や銅などを採掘していた坑道あとがあちこちにあるそうです。いにしえの昔から、田を耕し、稲や作物を育て、山の恵みを頂きながら暮らしてきた私たちの祖先たちは、時に、地面の奥深くでさらに遠い昔に地球が育てた”鉱物”を掘り出して、生活を今に繋いできたのですね。
先日、トヨノノレポーターの勉強会があり、地元の地理・歴史・地学に詳しい先生のお話を聞く機会がありました。豊能町にも古い坑道あとは多いけれど、調査したり見学したりできるものはないそうです。近くでは、川西市を挟んで隣の隣の市である、兵庫県猪名川町に、誰でも見学することができる《多田銀銅山》の《青木間歩(まぶ)》があるとのこと!
秋晴れの日曜日、たずねてみました。
資料館《悠久の館》
銀山地区では、今も人々が暮らす生活道路の奥に、間歩や、露頭、昭和の鉱業所跡、江戸時代の建物跡などが点在していますので、まずは、銀山地区入り口にある《悠久の館》へ車を停めて、そこからは徒歩で散策しました。
こちらで周辺マップをもらいました。地図を見ながら奥へ進みます。
館のすぐ裏手には、江戸時代の代官所の跡、その入り口には高札所の跡もありました。
道の両側にお寺や炉の跡などを見ながら少し進むと、川を右へ渡って遊歩道が続いています。
間歩(まぶ)とは‥‥昔の坑道
「間歩(まぶ)」とは、聞きなれない言葉ですが、銀や銅を掘り出すために人々が掘った坑道のことを、江戸時代にこう呼んだそうです。多田銀銅山のある兵庫県川辺郡猪名川町付近には、3か所の間歩があり、坑内を見学できるのは「青木間歩(あおきまぶ)」のみです。
道沿いに、露頭やほかの間歩を見学
マップを見ながら、さらに先にある、他の史跡をたどりました。
道は、この先は行き止まりになっているようなので、木立の中を戻ることにしました。
鉱山の神様をおまつりする《金山彦神社》
青木間歩への橋のところまで戻って来ました。
帰路になりましたが、昔から人々の暮らしを見守ってこられた神社に、ご挨拶することにしました。鉱山の神様をお祭りしている神社です。
《金山彦神社》建立は807年。971年に源満仲が修理したという伝承もあり、現在の本殿は銀山最盛期に建立されたものだそうです。
神社へ来ると、感謝の気持ちがわいてきます。人間ではどうしようもない‥‥何か大きなものに対して、守られている時もあると感じることに‥‥(ありがとうございました)。
約半日の短い見学でしたが、間歩や史跡を見ながら歩いていると、遠い昔の人々の暮らしをちょっとだけ垣間見られたような気がしました。悠久の館にはいろいろな資料が展示されていましたが、今回はあまりじっくり見られず‥‥ぜひ、また訪れたいと思います。
最後までご覧下さって、ありがとうございました。
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2 comments
多田銀銅山、行ってみたいなぁと思っていました。写真も文章もお上手で、もう行った気分になりました。時間があれば、是非、行ってみます。レポート、ありがとうございました。
菅野さん、コメントありがとうございます!うれしいです☆
豊能町にもじつはたくさんあったという坑道がどんな雰囲気だったのだろうと思い、たずねてみました。遠い昔の人々の暮らしを感じられた気がして、良かったです(#^.^#)