11月3日(火)祝、ユーベルホールで行われます「朗読と合唱で綴る 高山右近」の稽古が10月23日に中央公民館(余野)で行われました。出演者は、本番に向かって真剣に、100%の表現がでるよう、熱の入った練習風景でした。大人(大学生以上)2,500円、中高生1,500円、小学生1,000円です。チケットには、まだ余裕があります。
高槻城公園の右近像:1571年、和田惟政と荒木村重との対立によって、次第に雲行きがあやしくなっていく。だがこの「白井河原の合戦」で惟政はあえなく死亡。その時右近は大活躍しました。惟政の死後、息子の惟長が高槻城の城主となったが、17歳の惟長は、命を賭けて戦う勇気もない。惟長はダリオ飛騨守父子が殺害し、高槻城を乗っ取られると思い、高山飛騨父子の暗殺を謀るが、飛騨守が荒木村重に相談に行くと、惟長を討つようにすすめらた。戦いに勝利した高山飛騨父子は高槻領二万石を、約束通り織田信長の配下にありました摂津の領主荒木村重の家臣として高槻城に迎え入れられた。右近はこの戦いの時に大量出血し、重傷したが奇跡的に回復したと言われています。その後、高山右近は21歳の時に高槻城の城主になりました。
沢城址近くにある高山右近の碑:三好長慶は将軍足利義輝を京よりおいだした。1558年頃、飛騨守に待っていたチャンスがやってきました。三好長慶の家臣松永久秀に従い、大和国の最前線の沢城の(現・奈良県宇陀市原澤)城主に抜擢された。300名ほどの家臣・家族とともに高山の里から沢城にむかいこの中には6歳の高山右近もいました。