高山地区で生誕した(天文21年、1552)幼年期、少年期をすごした約10年間、高山右近と、余野出身のユスタ(志野)と天正2年(1574)14歳の頃に高槻城主であった高山右近と婚姻をした。平成28年(2016)に当時を忍び、第一回花嫁行列が余野地区で盛大に行われました。(写真は光風台、東ときわ台、ときわ台、天台山、妙見山方面を花折れ茶屋より望む)
開催日:10月8日(土)
場所:阪急オアシススタートして東ときわ台を巡回します
主催:高山右近夫妻顕彰会
本年は昨年まで東地区で行われていました花嫁行列が西地区の東ときわ台地区を中心に行われます。本格的な甲冑に身を包んだ鉄砲隊、槍隊をはじめ、傘持ち、荷車、神父、新郎新婦の右近・志野と続く一行に、色とりどりの豪華な着物を身に着けた腰元たちが巡行します。小学生からご年配の方々、カップル、町外の方も参加できます。また、お手伝いして頂けるボランティアスタッフの方も募集しています。お問い合わせ、お申し込みはメールでお願いします。retlifla@zeus.eonet.ne.jp 山崎様まで
ルイス・フロイスの日本史よると「高山飛騨守」は、摂津国の余野城主で親戚にあたる友人クロン殿を説き伏せ、家人を含め53人を洗礼に導いた。その後、クロン殿の父親とクロン殿も亡くなった。その後奥方(摂津国で最大の武将池田氏の娘」)が「亡きクロン殿にかわり同家を統率した」とあります。この時洗礼を受けた奥方の洗礼名はマチヤといい、奥方の長女も3歳のとき洗礼を受け、洗礼名をユスタという。ユスタの名前は記録に残されていない。幣ノ木城の西側の麓に住まいを設け、本宅と称し、現在も小字名「本宅」として残っている。ユスタはこの場所で生まれたとされ、「高山ユスタ夫人出生地」の石碑が建てられている。この宅地の後ろに井戸が残っており、ユスタの産湯に使ったとの話も伝わります。2015年5月に高山の「右近の郷」で高山右近夫婦像の除幕式を行なった時に右近没後400年記念実行委員会が、ユスタに「志野」というおくり名を贈りました。
第一回花嫁行列、平成28年(2016)10月9日、余野地区、国道423を行進
第二回:平成29年(2017)10月1日開催 余野地区にて
余野交差点行進中
鉄砲隊
午後より高山地区に行き、住吉神社でお参りをする
高山右近
高山棚田の前を行進
令和3年(2021)10月23日、希望が丘自治会館より走落神社まで行進
走落神社にて