5月30日、我が家より、妙見口→吉川八幡神社→吉川城址→高代寺→旧山下道→新光風台→ときわ台と、快晴の中、新緑がすがすがしく木々を見ながら、また、歴史ある高代寺、吉川地区を再認識しながら約6.7km、約3時間のハイキングをしました。コースもここしばらくは天候も良く、倒木、落石もなく快適なコースでした。
能勢電車復刻版、妙見口駅、山下駅を往復している。
妙見口駅:川西能勢口駅まで約25分で運行している。この駅前の通過人数は一年間に約55,000人がある。特に春の桜のシーズン、秋の紅葉シーズンの多い日には1,000人以上の来訪者がある。
新花折街道沿いの平井川に沢山のクレソンの花が咲いていた。
吉川八幡神社にお参りして、裏山の神聖な森を登り吉川城址へ。
登っている途中、東方面の山を見ると桜の森のケーブルがみえる。6月1日より運行開始。6月末~7月初旬、リフトに乗ると「アジサイ」が大変綺麗。
正面の山は振野、真ん中の剥げている所は、黒川地区の台場クヌギを管理、保護している。
1490年に吉川長仲という、当時、吉川を支配していた武士により築城された。1573年落城するまで、吉川氏は3代80年間にわたり吉川を統治していた。吉川の本陣(井戸城、妙見口駅前)とその領域を防衛するための山城、有事備えての出城。織田信長の摂津制圧の初期の段階(1573年、天正元年)で、吉川の城(井戸城、吉川城)は同族である塩川長満により滅ぼされた。高代寺日記によると12日間攻められた後、ついに落城し、城にいた吉川の三百数十人が一時に滅んだという。城の主郭をなす削平地は東西52m、南北48mその周囲を落差2.5m~3m、幅3mの土塁が囲む。西の竪堀(幅3m全長100m)、南の竪堀(幅3m全長100m)。戦場として使われたと思われる一ノ岩、二ノ岩、三ノ岩等が残されている。
高代寺五輪塔:正面の地輪の梵字「ア」の左右に文和3年甲午(きのえうま)と書かれている。文和3年は南北朝時代の1354年であり、町内最古の五輪塔である。この塔は、源仲頼の塔と伝えられている。
高代寺駐車場付近より、正面は天台山、手前の町は吉川下の町を望む。
旧山下道分岐点、右側が高代寺参道で下りて来て、左側に入ると旧山下道(醤油街道とも言われていた)。この道を入り新光風台に方面に行く。
新光風台4丁目付近、ときわ台駅方面に行き、帰路に。
2 comments
八幡神社、吉川城址、高代寺‥‥それぞれの歴史を学んで訪れるとさらに趣がぐっと増しますね!
高代寺さんは960年、吉川城は1490年~1573年、参道の六地蔵様は1649年…などなど、教えていただいて年代を知るだけでも、過ぎ去った時代に思いが及び、豊能町がどんなふうに変わってきたのだろうと考えると、ロマンを感じます。
また、行ってみたくなりました☆
ありがとうございました(#^.^#)
何時も、コメントありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。