暦では、季節は秋ですが、まだまだ暑い中、牧地区に久しぶりに出かけしました。一部では稲刈りも始まっていました。豊能町の中でも「彼岸花」が多く咲いている場所はこの牧地区と思います。暑さに関係なく、この時期になると矢張り咲いていました。例年より濃い赤色の様に思います。
2年前ぐらい前から、田んぼの土壌改良、大掛かりな区画改善等の工事が始っています。完成時には今まで以上に良いお米が収穫されることでしょう。
田んぼの畔には真っ赤な「彼岸花」が咲いています。彼岸頃に咲くのでこの名前が付けられた。時代は不明ですが中国原産の帰化植物です。花後に葉が出て来て冬を越し、春の終わりごろ葉が枯れ、開花時には葉がありません。茎にはリコリンという強い毒を含んでいるので、昔は畔にモグラの侵入を防ぐためたくさん植えられ、あちらこちらの田んぼの畔には群生していましたが、今は、畔に生えた草等は直ぐに刈ってしまうので、「彼岸花」は少なくなりました。
後方は、豊能町で一番高い山の鴻応山、海抜678mです。山向こうは京都府亀岡市です。
田んぼの畔に群生。穂が垂れ下がっているアキノエノコログサ(イネ科)が一緒に咲いていました。
見事な群生。
庚申塔(こうしんとう)。寺田地区に行く道端より少し下りたところにあります。60日周期で巡って来る庚申(かのえさる)の夜、人々は身を慎み徹夜して過ごしました。庚申信仰とは中国の道教の三尸(さんし)説によるものです。三尸とは人の体内に潜む三匹の虫のこと。人が死ぬと三尸は体内から出て好き勝手が出来るので、常に人に早死にを望み、庚申の夜、眠っている人の体内から抜け出して天に上がり、人間の罪過を事細かく天帝に告げる。天帝はその罪過が一定程度に達すると人の寿命を縮めて死に至らしてしまう。人はだれしも過ちを犯すものであり、それを60日ごとに天帝に報告されて寿命が短くなると困り、そのために庚申の夜は、三尸の虫が体内から抜け出られない様に徹夜して過ごすのが庚申信仰です。実際には夜通し飲み食いし雑談する娯楽でもあった。この行事を庚申待ちといい、通常町単位で行われ、その集まりを庚申講という。発祥の地は大阪の天王寺と言われています。豊能町にも、木代地区、川尻地区、にも庚申塔があります。
豊能町コスモス園:お問合せ:TEL072-739-1363。現在、開花は少ないですがオープンしています。10月10日ごろが一番見ごろの様です。
満開時の写真。現在の写真ではありません。