比較的新しく移り住んできた人は知らないかもしれませんが、というか私は知らなかったのですが、豊能町にも昔は高校がありました。というかあったそうです。
普通科と園芸科を併設していた高等学校である。大阪府立園芸高等学校東能勢分校として1948年に設置され、1976年に大阪府立105番目の高等学校として独立開校した。校名の「城山」は余野城址の高台を意味する。
大阪府立城山高等学校 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
大阪府の高校統廃合計画に伴い、近隣校との機能統合(普通科は学区内の全公立高校、園芸科は大阪府立園芸高等学校へ)を図るとして、2006年度に募集が停止された。募集停止まで京都府亀岡市別院地区からの生徒の受け入れを行っていた。最後の卒業生を出した2008年3月に閉校した。
跡地は2016年現在大阪市此花区にある学校法人淀之水学院(昇陽中学校・高等学校を運営)の城山キャンパスとなっており、年に一度昇陽高校の生徒が耐寒訓練で訪れる他、昇陽中学の生徒も農業体験で月に一度訪れ中学生が旬の野菜を植えて育てている。
Wikipediaによりますと2008年に廃校となっていますので、この記事を書いている2020年からすると廃校になって12年になるんですねー。私みたいな大人からみると2008年なんてついさっきのような気がしますが、廃校になったときの卒業生が18才だとしたら今年30才……。いやはや、時がたつのは早い。誰か助けてください。
で、この府立城山高校。ホームページがございまして。このページがものすごく素晴らしいので是非紹介させてください。
リンクしてそうな箇所(下線が引いてあったり文字色が違っていたり、表示する環境によって様々なので具体的にどうなってるかは表現しにくいですが、リンクしてそうな箇所はリンクしてそうな箇所です)は該当ページにリンクします。
このホームページは開校していた頃を生徒が全学年そろっていた時代 と 機能統合にむけて進んでいた最後の2年間の2部に分けて構成しています。
https://www.osaka-c.ed.jp/shiroyama/index2.htm
2部構成になっている時点でぐっときまして、通常営業していた時期と機能統合に向けての時期とでわかれています。あとのほう、機能統合に向けて進んでいる時期のホームページというのが、つまりは廃校になる高校をホームページを通じて追体験できるので、ものすごくぐっとくるものがあります。
ですが、通常営業の時期を今、廃校になることがわかってる未来の私たちの目を通じて見ることも趣がありますので(そう、まるで100日後に死ぬワニをみているかのように、ですね)、順番に紹介していきます。
自然と史跡>城山高校周辺の史跡概説
自然と史跡のページも充実しています。
天武天皇宮趾
ページでも触れていますが、天武天皇がここを訪れたという記録は無く、“天武はここの水を産湯に使ったと伝えていますが、これも史実としてはちょっと信じがたい”とあるように、伝説についても否定的ではあります。
ですが、全くの無から伝説が生まれることは少なく、少なくともなにかの、たとえそれが全くのデタラメだったとしてもなにかしらの伝説が生まれる種はあったのでしょうから、その歴史のミステリーに我々もロマンを感じます。
藤森神社
照大神(あまてらすおおみかみ)を筆頭に、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)と古事記や日本書紀のオールスターが勢揃いです。こんな大スターを祀った神社が町内にあったとは驚きです。そういえばどこかに猿田彦も祀った神社あったような……。いろいろな人の話を聞いてると、古代から戦国時代まで、町が軍事的な要所であったことがうかがえます。
生き物と共生する学校作り
ビオトープってなんじゃらほい?と思って調べてみたのですが、なんかこう、生き物と共生する空間を作ろうみたいな取り組みなんですね。要は学校にチョウとかタガメとか群生してる!ってことでしょうか、めっちゃいいですね。
編集後記にもありましたが、なんか成り行きで誘われて、自分がこんなにビオトープにのめり込むなんて思ってもみなかった的なことが書かれてて、生徒と先生が一緒になって試行錯誤してる様子がうかがえます。
廃校に向けての二年間
さすが高等教育機関のつくる史跡や自然への紹介ページ。ひとあじ違った観点で通常営業中の、昔の高校のホームページを一通り読んで愛でた後はいよいよ廃校に向けての二年間を綴ったページに移ります。
終わりがあるからこそ美しくあるのは何事においても当てはまるようで、ただの日常業務のらせん階段だった今までのホームページからぐっと「終わりを意識した」動きが見られるようになります。
わたくしごとですが若くして父と母を亡くして以来、年配ご夫婦を見かけるとついつい目で追ってしまって「父や母が生きてたらあんなふうだったんだろうか」「父や母もあんな素敵な余生を過ごして欲しかった」と思うときがあるのです。ですが、反面、終わりがあったからこそたくさんのありがとうを言えたとも思うわけで、家族どうしが無自覚に付き合いを重ねるたび、「ていうか最初からやっとけばよかったんじゃない?」といったような優しい言葉でふわりと傷つけることを繰り返してしまったり、自分という人間は終わりを意識しなければ人に優しくなれないのかもしれないと思ったりもするわけです。でも、自分が母の10分の一でも人に優しく出来るのは、母から無限の愛情を受け取っていたからだと気づいたのが母が亡くなってからだったり、何て言うか、終わりって良いですよね。人だけじゃなく、学校もそうなんですね。私は断然、終わりは好き派です。
下から上に行くに従って最新になっていきます。
マーチングバンドの練習場に使ってもええよ
廃校になるから他の学校とか運動場使いたかったら言って、ってみんなに伝えたところ、草むしりしてもらったでござる。
全校生徒 v.s. 全校職員 v.s. PTA
縮小していくからこそ出来る、全校生徒と全職員とPTAとで寄贈ソフトバレーボール大会。
小さくたたんでいくなかで出来ることをどう楽しむか、大きく広げるだけが価値では無いことを学べます。
一度しかない人生、高校野球大会
大人になってわかるのは、人生がらせんであること。なんですが、高校生球児にとって一度しかない人生で高校生活を送るなら、一度は出てみたい甲子園。統合先の園芸高校と合同で挑戦した、高校野球大会での一コマです。外部にとっては廃校ですが、学校内部や生徒にとっては統合。その意識が垣間見えます。
だんだん廃校を意識し始める夏
夏あたりから、「最後の」「これが最後」といったキーワードが見受けられるようになります。
園児との芋掘り
園芸の高校なので、そりゃ園児と芋掘りもするでしょう。
ただの学校行事が、最後になるだけでこんなにも感慨深い。
双葉保育所と本校の関わりは、12年前に保育所実習でお世話になってからのおつきあいですが、双葉保育所の園児と芋苗の植え付け・収穫を一緒にするのは今回でまだ3回目です。しかし来年3月で本校は閉校となりますので、これが最後の合同のイベントとなりました。城山の畑が取りもってくれた園児と生徒との縁も終わります。
https://www.osaka-c.ed.jp/shiroyama/2007/%EF%BD%94%EF%BD%8F%EF%BD%90%EF%BD%89%EF%BD%8B%EF%BD%8B%EF%BD%95%EF%BD%93%EF%BD%95/hutabahoikushoimohori.htm
学校という場所は生徒や職員も常に入れ替わり、ずっと一緒ということは少ないはずです。それでも変わりながらも続く縁が、消滅する事へのはかなさ。当事者が感じたであろう寂しさがこのあたりからひしひしと伝わってくるようになります。
好評でも終わるしかない残念さ
花や蝶いっぱいの花壇は参拝者からもたいへん好評であった。この取り組みが終わってしまうことがとても残念である。
わかる。わかりみ。(語彙力)
もう本当に終わりが近づいてきてるんだなあの実感
なんかもう、ほんと、いよいよな感じがひしひしと感じられて心を打ちます。
幕が下りたのでこれで終わりかと思ったのですが、なんと本校関係者だけにもう一度開幕し、箕面自由学園による「千の風になって」がプレゼントされました。感動のフィナーレを迎えることができました。
「千の風になって」って、何もない一般の人にまで届いちゃったんでピンと来ない人たちからは滑稽に聞こえるのか、茶化す材料みたいになっていますが、“もう本当にこれで終わり”をまもなく迎える人に、ものすごく響く言葉なんですよね。
生徒会解散式 と
農業クラブ解散式
解散式っていいですよね。
終わりがあるからこそ始まりがあるわけで、ただの言葉遊びに思えるかもしれませんが延々と続くらせんが途切れることの意味、決算報告とかをしていつもなら繰り越しや持ち越しになるんですけど持ち越さない、なんかこう、終わりがあるからこそ生徒や職員の次が始まるんだというようなことを、未来の視点から見てる我々は感じるんだと思いました。
先輩から後輩へのメッセージ
いろいろあってこの高校に来た、在校生からのメッセージがありました。
どのメッセージからも共通して読み取れることは、不便な境遇を楽しもうとしている前向きな気持ちでした。
友達がたくさん出来てうれしい。先生が優しくて楽しい。雪がすごくてきれい。空気が美味しくていい。
もちろん、ここに書いたことばかりではないでしょうけど、というかここには書き切れないいろいろな思いのほうがたくさんあるのでしょうけど、でもやっぱり表現の世界の中だけでも素晴らしくあろうとする、みんなのひたむきさに心を打たれました。
この記事を書くに当たって、12年も前に廃校になった学校のホームページをいまさら掘り返すことが果たしていいことなのか迷いました。でも、何度読み返しても素晴らしいページばかりで、紹介せずにはいられませんでした。
2 comments
♪千の風になって…“亡くなってしまった人はお墓などにはとどまらず、風になり星の光になり、私たちのそばにいる…”という感覚、心にしみます。廃校になって久しい城山高校のHPがまだ現存していることや、それをこうして目にとめ、その良さを知らせて下さったこと、その感覚にも似て心に響きました。
豊能町だけでなく全国的に財政縮小など様々な理由で小中高の学校統廃合が進められていきますが、みな良かれと思ってのこととはいえ、なくなってしまった学校への子どもたち・卒業生の気持ちを思うと、切ないですね。
こういうホームページは、管理する人がいつかいなくなると消えるかも知れず、どうにかして残しておきたいですね。