写真を撮るのが好きだ。それほどうまくならないまま、ずいぶん長い間写真を撮っている。
カメラにはレンズがあって、レンズには焦点距離がある。焦点距離というのは、正確には光を受ける面とレンズの焦点を結ぶ点との距離を言うのだが、画角といったほうがわかりやすいかもしれない。
今ではむしろズームレンズの方があたりまえだけれど、もともとは、超広角の15、21ミリ、広角の28、35ミリ、標準の50ミリ、中望遠の85、90、135ミリ、望遠の200、300ミリなどの単焦点のレンズがあって、広角はパースペクティブを活かしたダイナミックさ、望遠は背景をぼかしたり、被写体の圧縮効果の表現に優れているのだ。
50ミリ標準レンズはどうか。一般的には、人間の目に見えているままの状態に最も近いといわれる。それだけに普段見えているのとほとんど差がないだけに、わかりやすい魅力を感じにくいといえるかもしれない。したがって広角や望遠と違って、レンズ効果を活かした派手な表現ができるわけではないのがこうした標準レンズの特徴だ。普通で、ありふれていて、なんの変哲もない、これが標準レンズといわれるゆえんなのだ。
若者は尖っているから概して広角を、年齢を重ねていくにつれて多くが望遠系のレンズを好む傾向があるようだ。それをある高名な写真家は、撮影者の年齢とその好みのレンズの焦点距離は比例する、と言った。
初めて買った古い一眼レフカメラは、レンズの絞りもシャッタースピードも自分で設定し、露出計もついていないから電池もない、ピントも自分で合わせ、フィルムも指で巻き上げる、完全に手動のカメラだった。このカメラには最も安価な標準レンズとして、このカメラメーカー独特の55ミリがついていた。小旅行、近所の散歩や買い物、海水浴、家族での外出など、どこに行くにもいつもこのカメラを斜めに掛けて出かけた。この標準レンズは、よく映るいいレンズだった。さりげない日常の暮らしを写し撮るとてもいいレンズで、このカメラで本当にたくさんの写真を撮って、アルバムのページを増やしていった。そして確かにその後は、年齢に沿うように28ミリや35ミリの広角レンズが大好きになった。
トヨノノレポーターの連続講座を受ける前の年、その前身となる豊能町魅力発掘隊の一員として、シティプロモーションの取り組みの中にいた時、豊能町の魅力を50個挙げよ、というワークショップの課題が与えられた。豊能町の魅力を50個も挙げるのは簡単ではない。誤解を恐れずに言えば、そもそも50個もないと言っていい。むしろエネルギッシュで刺激が多く、利便性の高い街と比べると、その魅力は遠のき、影に隠れてしまうように思えた。
けれども、逆説的にこの体験こそが豊能町の魅力に改めて気づくきっかけとなったのだ。そうすると、50個の豊能町の魅力を挙げることができた。
それは、わかりやすい派手な魅力に溢れたものでなく、素朴であたりまえの、何の変哲もない、それでいて自然で、潤いと温かみのある暮らしの中から生まれる気分とでもいうのだろうか。そう、50ミリ標準レンズを通して撮った写真のような素朴で味わい深いものなのだ。
豊能町の良さはこういうところにあるような気がする。これはとても個人的な感じ方で、人それぞれの感じ方があるに違いない。ただ、「自然が豊か」とか「緑が多い」とか簡単に言うけれど、それだけでは十分ではないと思う。それは少し雑な言い方だ。そんな所は他にたくさんあるからだ。
50ミリ標準レンズのように。
広角や望遠レンズのダイナミックでわかりやすいレンズ効果にばかり基準をおくのではなく、50ミリ標準レンズの良さを正しく理解し、それが、そのようにあるがままに捉え直す。
そして、日々の暮らしの中でより多くの人たちが、豊能町のレンズの描写を気に入って、そんな思いを共有できたなら、それは、とても素敵なことかもしれない。