日常にやさしさを添えてくれるエマコーヒーさん。
その開店に至るまでの道のりを、オーナーの中西さん(愛称:しんちゃん)に伺いました。
☕開店までの道のり🌿
彼がコーヒーに魅せられたのは大学時代。 雑誌で見た、全身タトゥーのバリスタが淹れるエスプレッソと、音楽やイベントで人が集う空間――。
その一枚の写真が、彼の心に火を灯しました。お酒が飲めない彼にとって、カフェこそが「理想の居場所」だったのです。
17年前、大学4年だった彼は「留学」ではなく「働く」ために、あえて日本人の少なかったカナダ・トロントへ渡ります。
しかし当時、日本人が現地のカフェで働くハードルは高く、面接は落ち続けるばかり。お金も底をつき、絶望していた頃に最後にふらりと入ったのが『Voulez-Vous Café(注釈)』でした。
その店で、奇跡が起こります✨

オーナーのショーンは、ちょうど前日に友人の人気カフェオーナーから「日本人はよく働くから良いぞ」と聞いていたのです。 そのタイミングが吉となり、彼は見事に採用されました👏🔥
ショーンはかつて映像美術の大道具を手がけ、マリリン・マンソンのマイクスタンドまで作ったという異色の経歴の持ち主。店内の内装もすべて彼の手づくりでした。
そんな地元密着の小さなカフェとの出会い。 これこそが、今のエマコーヒーへと続く、彼のバリスタ人生の原点となったのです。
注釈:「Voulez-Vous(ヴレ・ヴー)」はフランス語で「~したい?」という意味。

やっとの思いで雇ってもらえた『Voulez-Vous Café』は、月600ドルを受け取りながら、好きな時間だけ働けるという夢のような環境🌈
なんとチップだけで暮らせるほど充実した日々を過ごしていました。
「このままカナダ人になりたい」と思うほどトロントでの生活に魅了されます。
永住するため、ワーホリからワーキングビザへの切り替えや、店長のショーンの養子になることまで考えます。
しかし最終的には、母の強い願いを受け、日本へ戻り大学を卒業する道を選びました。
帰国後は京都で暮らし、カフェで働く毎日☕
そんな中、当時58歳だったお父様の体調が悪化。
実家である万屋「中西商店」は父、母、叔母の3人で営んでいましたが、父が働けなくなり、店は在庫でパンパン。存続も難しい状況に。
元気だった頃は「好きなことをしたらええ」と言っていた父は「ちょっと戻ってきてくれへんか」と言うようになり、彼は実家へ戻ります。
そんなある日、父の「ここでコーヒー屋をやってみたらどうや」という一言が彼の背中を押します☕✨
25歳だった彼は、店の改装費用300〜400万円を目の前に「この額ならなんとかなる」と覚悟を決めます。
そして26歳のとき、ついにエマコーヒーが誕生🎉
その半年後、お父様は静かに息をひきとります。享年59歳。
早すぎるお父様の旅立ち。
ご近所中の何百人もの人々が、最期のお別れにやってきました。

「隠されていたお父様の素顔」~ ☕🌿**
カナダにいた頃、21歳の中西さんは、当時50代の父とSkypeでよく語り合っていた。
「21歳はもっと大人だと思っていた」「50代はもっと落ち着いているはずだと思っていた」――
そんなふうに笑い合った日々を、今でも鮮やかに思い出す✨
音楽と映画をこよなく愛した父。
若い頃はPAの仕事に憧れ、音楽の話を振れば、十にも二十にも返ってくるほどの情熱家だった。
一方で、生業だった「中西商店」は、制服・クリーニング・日用品まで扱う、
町の人が自然と集まる“憩いの場”。
父は誰にでも垣根なく接し、難しい相手さえ和ませる“街の潤滑油”のような存在だった🌿
60歳を目前に旅立った父の葬儀には、数百人が参列したものの、
誰一人として、父の深い音楽愛を知らなかったという🎧
好きなことを語らず、ただまっすぐ地域と商売に向き合っていた父。
その胸の内を、今、自身も店主となった中西さんは「もっと知りたかった」と語る。

ただ、父にも音楽を語り合える仲間はいた。
大学時代に茨木で子どものキャンプのお兄さんをしていた頃の友人たちとは、
レッド・ツェッペリンの話で夜が更けるほど盛り上がったらしい🔥🎸
今でも命日には集まり、エマコーヒーへ立ち寄る。
牛窓に住む旧友とは、山のてっぺんで営むカフェで語り合っていたという🌄☕
店の形は変わっても、
“みんなの温もりが集う場所”という本質は変わらない。
そして今、
お父様の音楽への情熱は、
エマコーヒーを静かに、穏やかに、あたため続けている☕🪔

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EMMA COFFEE(エマコーヒー)
📍大阪府豊能郡豊能町余野172-5
📞072-739-0789
🕒Open / 10:00-18:00
🗓Close / 水・木
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