秋を感じる菓子、亥の子餅。
ふらりと訪れた和菓子屋さんでウリボウのような模様のついた可愛らしいお餅”亥の子餅”を見つけました。「なんで猪のお餅?」と思い、亥の子餅のことを調べてみたら、とっても奥が深くて、しかも豊能町にしか存在していなかった特別な亥の子餅に辿り着きました。
まず分かったのが日本各地で行われている行事と、豊能町の伝承にある亥の子餅は名前は同じながら由来がちがうということ!
日本各地に存在する亥の子は古代中国に由来し、旧暦の亥の月・亥の日に穀物を混ぜ込んだお餅を食べ無病息災を願う儀式でした。平安時代に日本に伝わり宮中行事に取り入れられ、その後庶民にも広まったと言われています。源氏物語の中にも亥の子餅の描写があるとか。
豊能に伝わる昔のはなし。
豊能町の伝承ではおよそ1600年前の古墳時代にさかのぼります。応神天皇が皇太子の頃、能勢の大猪のおかげで命が助かったことから毎年亥の月・亥の日に、摂津国能勢(現在の豊能町)にある木代村・切畑村・大円(現在は切畑に併合)から亥の子餅を献上するように知らせました。これが亥の子餅の献上の起源であると伝えられています。その後1870年(明治3年)まで続けられてきた「禁裏御用亥の子餅」(※禁裏とは御所のこと)の献上は全国でも豊能町だけで行われていた行事でした。
何それ!めっちゃすごくない!? と思った私は豊能町の亥の子餅を食べてみたくなり、手がかりを探しに豊能町立郷土資料館を訪ねました 。
いざ、郷土資料館へ。

豊能町立郷土資料館に着くなり、「亥の子餅のことが知りたいです」と館長さんに伝えると貴重な展示をとても丁寧にご紹介くださいました。
亥の子餅の伝統的な道具とつくりかた。

蒸したもち米と小豆をこの練り桶と練り棒を使い、粒が残る程度まで練る。

箱に餅を入れ、餡を流し、栗の実を並べた上に熊笹2枚を乗せて完成。餅は猪の肉、栗は骨、熊笹は牙を表している。

唐櫃にいれ献上される。献上の数は約100合から150合。提灯で照らしながら山道を越え、御所まで献上された。
亥の子餅を食べるには?
亥の子餅のつくりかたや道具、伝承について知ることができたものの、残念ながら平成9年の公式による再現を最後に、禁裏御用亥の子餅は作られておらず、現在では食べられる場所はないとのこと……

だったのですが、豊能町ウグイス大学という生涯学習講座にて昨年亥の子餅を作る回があったとのことで、その際の配布資料を特別に頂くことが出来ました!
亥の子餅のレシピを手に入れたら、次は自分で作ってみるしかない。と、いうことで次回、亥の子餅を自宅でつくってみようと思います。
今回の記事は、禁裏御用亥の子餅について多くの皆さんに知って頂くために、詳細な表現を省略し、なるべく簡単な言葉に言い換えている箇所があります。詳しく知りたいと思われた方は是非、郷土資料館を訪ねてみてくださいね。貴重な展示品の中には触れて体験できるものもありますよ。
豊能町立郷土資料館
住所:豊能町余野1008
駐車場:あり
開館時間:火木土9時~17時
3 コメント
郷土に亥の子餅なんていうものがあること自体、知りませんでした。これは食べてみたい!!
コメントありがとうございます。
先日のとよのまつりや、図書館でも時々資料展示があるようですが、地元だからこそ気がつかないこともあるかもしれませんね。
ご自宅で気軽に試していただけるように、次回の記事でご紹介出来ればと思います😊
[…] 前回の記事で、豊能町にかつて存在していた”亥の子餅”のレシピを手に入れた私。忠実に再現したいところですが、トヨノノポータルに記事として公開するなら皆さんのご家庭 […]